己を支え、人を支えてこそ人の道
重き荷を背負おわされるのは、佛様からの慈しみである。重いからこそ人生を歩く力が付く。受験勉強もスポーツも、頭の筋肉、足腰の筋肉をつけるには負荷をかけないと、筋肉は強くならない。自分を甘やかした生き方では、弛んだ人生しか歩めない。人生力とは、重き荷を背負ってこそ向上する。その重き荷を遠くに長く運んでこそ人の道である。
己を支えるのは自分
背負う荷が重いのではない。背負う力が弱いのだ。軽くする智慧がないのだ。遠くに運ぶ知識が欠けているのだ。己の人徳がないから回りから助けてもらえないのだ。頭の汗をかいて、智慧を出す能力を鍛えてこそ、人生を力強く歩める。負荷をかけないと、極楽トンボの生活に陥り、認知症への道をまっしぐらである。持国天は国を支えている。総理大臣は国を動かしている。己は自分を支えている。天はあなたに総理大臣の仕事をしろとは言っていない。それに比べれば、凡人の持つ荷など軽いもの。己を支えるのは自分である。天は自ら助けるものを助ける。東西の教えは同じ事を言っている。
智慧ある仕事
μとは仕事と大地(世間)との滑り摩擦係数。仕事量ロスを減らすには、摩擦係数を小さくすれば良い。摩擦係数を小さくする技が、知識であり、智慧である。人と人との間の摩擦を減らす潤滑剤は笑顔である。苦渋に満ちた顔つきで力任せに運んでも、笑顔の智慧を使った仕事には及ばない。己が非力ならば、みんなの力を借りて智慧を出せば、大きな仕事ができる。
一人で運ぶから大変なのだ。一人で荷を持つから、遠くには運べない。重い荷はみんなで運べば、遠くに少しは楽に運べる。笑顔があれば皆が協力してくれる。みんなで協力して運べば、重い荷も軽くなる。
組織の力
松本明慶先生が、一人で悩んでいた岩田明彩師に言った言葉、「何を一人でもがいているんや、みんなそばにいるぞ。みんなを信じてもっと頼りなさい」。仲間は人生の宝である。身の回りには宝が一杯ある。宝が目の前にあるのに助けてもらわないのは、米蔵の前で餓死するようなもの。己の心を開き、人生の門を開けば、みんなの笑顔が出迎えてくれる。赤信号、みんなで渡れば怖くない。重い荷物、みんなで持てば軽いもの。それが組織の力である。
人は及ばないから、少しでも良くなろうと努力をする。金も力も有り余ってあれば、努力などしまい。そうなれば堕落の道しか無い。及ばないから、みんなで足りないところを補い合ってこそ、人間社会である。人に頼むのに躊躇するのは、己の我があるからであるだ。我を無くせばうまく行く。
仕事量Jは下記の式で表される。
J=μ×W×L
μは摩擦係数
Wは仕事の重さ
Lは運ぶ距離
楷の木とは
「皆」とは「比」+「白」からなり、「比」とは人が並んでいる様を表し、「白」は、モノを言う意味と、人が声をそろえて言うの意味から、みな、ならぶ、とも、の意味を表す。「偕」とは、「人」+「「皆」で共にするから、「つよい」である。一人の人間は弱いが、皆が集まれば強い組織となる。力ある人は我を張らない。我があると揃わない。「喈」は「口」+「皆」で、人が声を揃えて言うで、気心が揃って和らぐの意味を表す。「楷」とは「木」+「皆」で、枝や幹が正しく並ぶ木の名を表す。転じて整った手本の意味を表す。曲阜(山東省)の孔子廟に子貢がみずから植えたといわれる木の名である。
「楷の木」が大垣市スイトピアセンター内の図書館横に植えられている。学名「トネリコバハゼ」、和名「久志能幾」と言う。中国山東省曲阜の聖廟に、孔子の高弟子貢の手植えの「楷の木」二世が、今も鬱然と繁り紅葉するところから黄連樹とも呼ばれる。この公園に植えられた樹は、曲阜聖林から採取発芽させた東京湯島聖堂内苑の樹から取り木された唯一の木で、学問文化に深い由緒をつなぐ名木である。
楷の木とのご縁
この樹は戸田公入城350年(昭和60年・1985年)を記念して、大垣文化連盟が、スイトピアセンター内の公園に植樹した。封建時代の藩主を称えて植樹されるのは、戸田公が大垣の学問文化の発展に多大の貢献をされ、その威徳が未だに輝いている証である。1985年は、私が初めての海外体験としてスウェーデンに4ヶ月間の出張をした年である。
この樹は春には緑豊かな葉を飾り、夏は蝉の抜け殻を抱き、秋には紅葉が鬱然と繁る。冬は全ての葉が落ち、まる裸となる。それは次の春に向けて内部蓄積をする姿でもある。人生の春夏秋冬を表している姿は、一つの教えである。
図1 摩擦係数と力
図2~5 楷の木の春夏秋冬
017-08-13
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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