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2017年8月12日 (土)

インプラント 29(人食い種族)

3.29 人食い種族の儀式 

 インプラント手術の正式キャンセルを電話で院長に通告したら、「そんな大事な話しは電話ではできないので、来院されたとき話し合いましょう」と言われて、イヤイヤ歯科医院に「出頭」した。しかし、その場でキャンセルの件の詳細な話し合いはなく、ただキャンセル料金の話しだけであった。「ではブリッジにしますか」との問いかけに、「しばらく考えさせて欲しい」とその場は取り繕った。院長が、「これが完成したサージガイド(手術ドリル用のガイド)ですよ」とその封を切って取り出し、「こうやって歯にかぶせるのですよ」と残念そうに(?)(金を生むカモに逃げられたから?)、私の口の中に押し込んだ。私はインプラントを止める決断をして、来院しているのだから、そんなものは見たくもなかった。それを無理やり口の中に押し込まれて、鳥肌が立ち極度の不快感を味わった。治療椅子に座らされているので、拒否もできない。

 

少年雑誌の記憶

 その時、自分が小学生の頃(55年程前)、当時の少年雑誌『週刊少年サンデー』か『週刊少年マガジン』の記事で読んだ記憶が急に蘇ってきた。その記憶は、人食い種族が獲物の人間を杭に縛り付け、そのご馳走の周りで踊り狂っている情景である。そして人食い種族たちが、食べたい部分に印をつけて舌なずりをしている。歯科医の行動は正にその儀式のようだと思った。そういう情景を思い出させる行為であった。人の気持ちを慮ることのできない歯科医である。

 

鳥肌が立った不要な行為

 その前回の検診時には、部下の歯科医が「サージガイドができました」と、私の口にサージガイドを挿入して、「こうやってドリルで穴を開けるのですよ」と嬉しそうに穴を開ける仕草をした。単に型が合うことを確認さえすればよいのに、不要な言動である。嫌な思いを味わったが、その同じ行為を院長は再現したので鳥肌が立った。部下が確認していることを、かつ手術を取止めたのであるから、全く不要の行為である。手術取止めの患者にこうした行為を行うのは、異常である。歯科医としてインプラント手術をやりたくて、やりたくて仕方がない、キャンセルはとても残念だとの感触が伝わってきた。患者にそんなことを行えば、患者はどう思うかなどには考えが及ばない。普通の患者は手術に恐怖心を持っている。患者はできれば全身麻酔で、意識のない状態でやって欲しいと願っている。開腹手術を受ける前、「こんな風にお腹にメスを入れるのですよ」と手術前デモを患者に行うようなものだ。その異常さが明らかだ。そのサージガイドを「記念に」どうぞ、と渡された。「記念に」か、と複雑な心境で受け取って帰宅した。その歯科医院へは二度と行かない。

 

正財と偏財

 職業は四柱推命学的に、正財と偏財に分類される。正財とはものを作り出す農民や職人の職業である。偏財は、学問、医学、政治、兵士たちの職業である。正財の仕事は、世の中に対する生産である。偏財の職業は、正財をサポートして、その対象がマイナスにならないように、マイナスになった対象をもとの戻す仕事である。あえてマイナス分を、力を込めて掻き回すのはやり過ぎである。そこにインプラントの異様さを感じた。偏財は、本来、自らから管理して、律するするもので、それが出来なくなると限度無く暴走する。今回のインプラント騒動のように。

 

図1 私のインプラント手術用のサージガイド

 

2017-08-12

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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