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2017年8月16日 (水)

「桜田門外ノ変」の検証 (10/25)種まき

後世への種蒔き

 1860年1月1日、開国後の長期的視野に基づき、井伊直弼大老はオランダで建造した日本初の洋式軍艦「咸臨丸」を使って、日米修好通商条約の批准使節団を米国へ派遣をした。その使節団には勝海舟や福沢諭吉を随行させた。これは初の日本人だけでの太平洋単独横断でもあった。井伊直弼大老は、日本に開国のDNAを植えつけて天命を全うした。その後、批准使節団の帰国を見ずして、その2ケ月後の3月3日、桜田門外で散る。まるで交尾を終えたカマキリが自らメスに頭から食われて子孫の栄養になるのを助けるがごとくに。後世に託した種は、渡米した福沢諭吉らが、明治時代になって花開かせることになる。米国を視察した勝海舟が、江戸幕府の幕引きに貢献する。井伊直弼大老が残した痕跡が彦根市の天寧寺にある石黒太郎の墓に残されていた。詳細は次回(11/25)で掲載予定。

 全ての生命は子孫にDNAを植えつけて死んでいく。例えば受精した生命体の成長で、手の創成は指と指の間の組織が死ぬことで、新しい手の指が創成される。死は新しい命の芽生えのための一つのプロセスである。死がないと新しい命は生まれない。

 

私の種まき

 定年退職して会社の後進に託したその種まきが、無残な姿を見せつけられるのは悲しいことだ。その姿に、合併後の新会社に受け継がれたDNAが明らかになった。後進の担当者に技術者教育を託したが、もともと教育には熱意がなく頼りない人であった。講師を依頼しても、やる気のない手抜き講義しかしなかった。それは吸収側の会社の教育を重視しないDNAに起因していた。なにせ金にならない事項は、大事なことでも教えないという文化がある前会社である。結果として本来、その部署で担当すべき技術者教育を他部署に押し付けて教育の仕事を放棄してしまい、技術者教育の空白期間が2年程続いた。さすがに新社長の教育重視の指示で復活して、技術者教育が復活した。

 巨大になった組織では、官僚的な縦割り組織となり、その教育が本来もつ意味を考えず、形式的な教育に転落した。教育内容も細部に分割され、この部分は全社組織で、専門分野のこの教育は担当事業部でと、たらい回しとなり、会社として伝えるべきグループ企業としてのDNA教育が消えてしまった。

 

技術者教育の経緯

 私は技術管理部署で2000年から技術者教育を担当して、教育講座を構築して本格的に展開した。2003年から仕入れ先の工場見学会を取り入れ、実際に当社の製品の前工程での生産工程を見学させた。事前準備、事前の会社訪問、事前調査、見学依頼、バスの手配、引率と大変手間のかかる業務であるが、その評価はあまりされない。成果主義第一主義の企業では、やりたくない業務である。2004年からトヨタ産業技術記念館への見学を技術者教育に取り入れた。バスを仕立て、引率者として見学ツアーを継続した。豊田佐吉の生い立ちのビデオ、実物、前職の会社の本社事務所の姿や会社理念の実物の見学である。これらの技術者教育を6年間継続して、新会社になっても続けた。その教育体制が、私が退職したら、崩れてしまっていた。「会社診断◇会社社是」で述べたように、DNA教育の継承を怠った企業の末裔は悲惨である。大企業として全社に展開するため、教育講義がテレビ会議システムの講義形式になった。講義の内容は伝わるが、講師のパッションは伝わらない。私は技術教育講座の運営責任者として、講師の講義を教室の後ろで必ず監視した。熱意のない不真面目な講師は、翌年の講義講師から外した。そこまで私はこだわった。私自身も講座講師として6コマを持って、受講者のレポートは全て添削した。2週間の期間中に、受講生とのメールのやり取りが優に1,000通を超えた。今にして思うと情熱をかけて良くやったと自負したい。

 

伝わったDNA

 幸いなことに、私が残したDNAは、科学工業英語教育(テクニカルライティング)と三次元CADとして残った。私の意図が当時の部下に伝承されて三次元CADが展開されている。それが救いである。担当者として一番手間がかかり、成果主義では評価されない関連仕入先の工場見学講座が消えた。大事な豊田佐吉のDNAを伝えるトヨタ産業技術記念館への見学講座が消えた。技術者に重要な講座であるのに。前職の会社が吸収合併されるのは悲しい。それで大事なDNAの伝承が途絶える。教育を怠った咎が表れるのは、20年後であろう。日産や三菱自動車のようにDNAに復讐される。

 経営者は決断したことだけではなく、決断をしなかったことにも責任を取らねばならない。経営者がするべき決断をしなかったので、前職の会社は時代に乗り遅れ、会社は消滅した。

 命を捧げて開国の決断をした井伊直弼大老は、日本の大事なDNAを後進に託して桜田門外に散った。それが欧米に植民地にされるのを防いだ。それで今の日本の繁栄がある。アジアではタイ以外の諸国が列強の植民地にされた。タイが植民地にされなかったのは、地理的な要因で列強がお互い手を出さなったからで、タイが頑張ったためではない。

 

図1 トヨタ産業技術記念館で豊田佐吉が作った機織り機での実演を見つめる受講生。トヨタ産業技術記念館は、世界最大の動態博物館である。全ての機械が動く状態で展示されている。初回の見学講座である。

図2 トヨタ産業技術記念館に展示されている豊田綱領

図3 当時の織機のライン(実際に稼働している状態を実演)

図4 鍛造工程の実演風景

図5 トヨタ最初のAA型乗用車の開発風景

図6 パートナーロボットのトランペット演奏を見つめる受講生 

 

2017-08-16

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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