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2017年7月 2日 (日)

生前火葬から必死の逃走

 定年退職の生前葬に続いて、会社に残ると会社で生前火葬の葬儀がある。生前火葬では魂が焼かれる。生前葬が終わったのだから部長、課長の肩書は無用として剥奪され、無地の名刺で、白い経帷子の派遣社員扱いの制服を着せられる。そして自分より能力の低い部下が、上司僧侶としてとして引導が渡される。派遣社員扱いの処遇で働く境界に落とされ、そこで自分の自尊心と誇りが燃やされ灰にされる。派遣社員からも、職位権限がないので、軽んじられる。2,3年も務めると、焼きもちの火よりも強烈で長時間の火葬に嫌気がさして満期の5年の刑期を務める人は稀である。よほど面の皮が厚いか心臓に毛が生えているか、家のローンが残っているかでないと、続かない。その定年後の5年間で、すっかり精力、気力が燃やされて、魂の抜け殻が残り、生前火葬が終了する。あとは徘徊の人生が待っている。

 職人の世界でも、辣腕の料理長として長年君臨していても、定年になって元の職場で働けば、若造から「ジジイ」扱いされ、「おいジジイ、この皿洗っとけ」である。「ジジイ」ならまだましで、「クソジジイ」ではプライドも消滅である。

 

逆縁の菩薩の教え

 私は定年後の元部長が、昔の部下の課長の下でヘイコラとしている卑屈な姿を見て、定年後に会社に残るのをやめた。元部長は逆縁の菩薩であった。定年後の5年間で仕事は同じ、給与は半分以下で働けば、精力と気力を使い果し、その後の起業がほぼ困難になると確信した。定年後の第二の人生の立ち上げには体力も気力もいる。その大事な時期を社内生前火葬で灰にされてはかなわない。生前葬が終わったら、その後は人生の主として歩みたい。

 

生前火葬の損益計算

 定年後、会社に残って働けば、元基幹職でも給与は約三分の一に激減する。それでも年金よりは倍近い年収である。定年後の計画がないならそれも可である。しかし年間1,800時間の自由時間が奪われる。年金での生活にプラス150万円程を稼ぐために1,800時間の自由時間を引導僧侶の上司に貢ぐことになる。150万円を1,800時間で割ると、ファーストフード店やコンビニのアルバイトの時給以下となる。会社にとっては、経験豊かな人材を使用済み人材として格安でこき使える。自分の老計・死計を考えると、正しい選択ではない。それの理由で、私は早期入棺・生前火葬から逃亡した。

 誰にでも守るべき自尊心がある。それを放棄するのは奴隷の人生である。還暦まで生きてきて、そこまで落ちぶれたくはない。上司の悪魔の絡め手の引き留めを振り切って、焼かれる前に逃亡した。生前火葬からの逃亡後に、多くのご縁が生まれた。生前火葬されていれば、本書も生まれなかった。

 

図1 老いの川柳  小田泰仙作 馬場恵峰書

 

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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書の著作権は馬場恵峰師、所有権は久志能幾研究所にあります。

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