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2017年7月21日 (金)

インプラント 9(火葬場)

3.6 火葬場での美学

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。生まれるときは無垢の姿で、皆さんに祝福されて生まれてくる。死ぬときは、同じ裸でも、ある人は惜しまれて、ある人は無視されて死んでいく。葬式とは、人生の最終劇場である。人間は垢と汚れをいっぱい身につけて死んでいくが、その汚れの量の過多が人の人生を象徴している。火葬場で焼いても、その汚れが白い灰にならずに、灰葬で骨を拾う親族の目に止まる。死んだ己には手が出せない、隠しようのない裸の姿である。   

 遺骨の灰の中に、歯の金属の詰め物が残る。金ならまだしも、安い金属が残っていると恥さらしである。ましてインプラントのボルトが残っていると、整形手術と同じ扱いの審美手術であるインプラントの跡が、その人の体に対する考え方を曝け出す。死後の恥さらしでもある。

 人間が死ぬとき、あとに残るのは得たものや集めたものではない。人に与えたものや、人を育成に貢献した価値である。高い金を使って身に埋め込んだチタンのねじは、火葬場での灰葬のあとは、ゴミとして処理される。インプラントとは、日本人の死の美学に反した手術ではないだろうか。

 

2017-07-21

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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