母の思い出 1/3
電気の基本容量UPへの抵抗
母は、若いころから洋裁の腕で働き、節約した金で、大した贅沢もせず、平均寿命以前に逝ってしまった。昔気質の母は、電気の契約基本容量のアップを頑固に拒んだ倹約家であった。私は小さい頃によく電気のブレーカを飛ばして、母に叱られた記憶がある。今にして思えば、実に合理的な思想であった(前職の勤務先の工場では省エネ活動のため、これと同じ思想の節電に取り組んでいた)。幼い当時は、なんとケチな性格だと疎ましく思ったものだが、今は母が残してくれ有形無形の財産を感謝している。人は棺を覆って初めてその評価が定まると言うがそれを身近に実感した。
寒い冬の夜(1992年12月)、母の通夜の場で家中の電気をつけたため、ブレーカが度々飛んで往生したが、「私の葬儀ぐらいで無駄遣いをしてはダメ」と言っているようであった。母の葬儀を母の叔父の意向で、母が歯を食い縛って残してくれた有形無形の財産への餞として、身分不相応に立派にしてあげたのが、親不孝な私のせめてもの親孝行であった。
しかし、年老いた父にそんな不自由な生活を送らしても仕方がないので、母の死後、実家の電気の基本契約容量をアップ(30A)させた。しかし、三河の自分の家の基本電気容量(20A)はなぜか、母の性格を受け継いだせいか、もしくは貧乏性のせいか、基本電気容量を上げる決断ができずに、近畿への転勤の2005年末まで暮らした。おかげで、チョット油断するとすぐブレーカが飛んで閉口であった。基本電気容量の契約アンペア数を上げても、生活に困らないリッチな身分に早くなりたいものと思って頑張っていた。今はこれとこれの電源を入れたから、総アンペアはこれだけで、これを切らなくてはアレが飛んでしまうと、頭がフル回転(羽田元首相の言い方で)である。この対策のため、家中の電化製品の電気容量リストを作成し、それを冷蔵庫に貼って横目で見ながらこの件を凌いでいた。不便だが、節約と頭の体操には良いものだと、母の躾に感謝している当時の姿であった。
母が健在であった当時、20Aであったブレーカ容量が、定年後に大垣に帰郷して40Aに、さらに60Aに上げた。現在(2017年)では、ブレーカ良く飛び、往生している。どないなってんねん?
お金の使い方
母は節約家であったが、使う時には、特にわが家の見栄・名誉に関係する時は、それこそ躊躇なく一気に出す性格で、ケチな節約家でなかったのが偉い。特に、私の教育のためなら何でも我儘を聞いてくれた。またそれが、母の生きがいでもあった。今の私がその反面教師効果として、贅沢ができない性格になったのは、母の深慮遠望だったかもしれない。
そんな母は、旧家の長女に生まれ、終戦後に父のシベリア引き揚げ後に結婚し、母の才覚と働きで裸一環に近いところから、自宅を彦根と大垣に2回も建て、自分の老後のため、息子の世話にはなりたくないと、借家を数軒も建てた、自立心に富んだ、プライドの高い、頭の切れる、男まさりの偉い母であった。出来の悪い自分が情けない。長年付き合いのあった地元中小企業の社長は、母に一目も二目も置き、大垣の社長たちで、母に太刀打ちできる男はいないと太鼓判を押した。日本の高度成長は、贅沢を知らない戦前の世代が、遮二無二に頑張った成果だと思う。その日本の高度成長と共に生き、バブルの終息をあと、それを追って消えるように逝ってしまった。働き者の母は、ある意味で幸せだったと思う。あの時代は、右上がりの経済を信じて全員がガンバっていた。その成果を手にしてから、逝ったのはせめての慰めかと思う。
日本政府に不信感
母はよく、終戦直後の新円交換の話をしてくれた。このせいで、母の父の蓄えた退職金が全て紙屑同然になった言い、国のやることに全面的不信感を持っていて、「自分で財産を守らなくては」との信念になったようだ。トヨタ中興の祖の石田退三氏の「自分の城は自分で守れ」と同じである。私も日本政府を信用していない。
人を見る厳しい眼
締まり屋の母ではあったが、旧家の10人兄弟の長女に生まれたこともあり、世間の付き合いの慣習にはうるさく、付き合う人たちの常識の無さをよく指摘して、私に「あんなことをしてはいかん」とよく言って聞かされた。その社会のあるべき「常識」を身につけさせられた。そのため、回りの人達の言動のアラが眼につきすぎて困惑している。今は、母以上に厳しい目で、私は人を見ている。
特に人との交流関係での「信用問題」では、厳しい眼をしていた。親戚や昔の上司の妻、回りの人の非常識さを私に指摘して、二度と付き合わない厳しさを持っていた。ある親戚とは親戚付き合いを絶った。理不尽な事には、相手が男性や上司の妻にでも、堂々と言いたいこと(正論)を言うので、相手がタジタジとなる。そんな母の交遊関係は小さいが、その密度は高かった。虚構の交友関係よりは、遥かに良い。
そんな性格を受け継いだ私は、2015年の自家のお墓の改建問題で、非常識な対応をした親戚の3家と縁を切った。これは問題を曖昧にできない母の性格が受け継がれている。
お金が無いことは、各種誘惑への毅然たる態度の欠如、心の余裕の喪失、非常識言動につながりやすい。だからこそ、しかるべきレベルまでは、お金を持たなければならない。お金に汚い人たちや非常識な人、それに起因する行動を批判して、お金の大事さを母は教えてくれた。
人の眼を意識せよとの躾
「出張等で、外食する場合には、最低金額の食事をして出張費を浮かすなどの情けないことをしてはいけない」。これは亡き母の教えである。そもそも会社が、「規定金額で食事をすること」と指示しているのに、それに見合う金額を使わないのは、会社の名誉・信用を傷つけている。他の人が見たら、「あの会社は、まともな食事代さえ出せない貧乏会社」と思せてしまう。それこそ会社への背任行為であり、会社の信用を傷つける。個人も法人も、信用を無くしては金儲けができない。また自分の勤める会社を卑しくして金を節約しても、それでは将来はたかが知れている。その場を誰も知らないといっても、神様は見ておられる。
(初稿1995年11月8日、2017年7月2日再校正)
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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