馬場恵峰先生は2021年1月1日に亡くなられた。私は師の後ろ姿を15年間見てきて、老年期から最期までの生き方を学ばせてもらった。それは老計と死計である。
今まで多くの師を看取ってきたが、最期まで見守れたのは恵峰先生だけである。死にゆく恵峰師は、段々と弱っていき、静かに息を引き取られた。人間として当たり前の自然な穏やかな死にかたを教えてくれた。
カネの世界と無縁
群れから離れて生きよ。群れれば考えなくなる。自分の存在を見つめよ。
これは馬場恵峰先生が日本書道界に属せず、一人で書道をやって来られた。今の書道界は、カネの世界で、段を授与する世界や展示会の世界は、カネで動いていることに嫌気がさしておられて、師はそれと断絶した世界で生きてこられた。そのお陰で、多くの恵峰先生の書を入手できたことを喜びたい。私のお宝である。
孤独と孤立
一人でいても寂しくない自分を育てよ。人は裸で生まれて裸で死んでいく。誰も一緒に死んでくれない。
寂しいと思うから、心が乱れて、時間が作れなくなる。一人なら無限の時間が創れる。芸術家は孤独である。しかし孤立ではない。
人は生れ、成長曲線に乗り成長をして、その後、放物線を描いて落下するように死んでいく。永遠に一直線の成長曲線に乗っているわけではない。成長が終われば、後は死ぬだけだ。その落下の放物曲線を如何に長く持たせるかだけである。
生涯現役
生きている限り、現役で生涯をかけた仕事に邁進する。それが一番の幸せである。朝起きて、特にやることのない一日など地獄である。それは世の中から必要とされていない存在である。早く死んだ方が、世のためである。
師は最後の1か月程は寝込まれたが、それまでは現役として活躍された。弟子の指導、全国を駆け巡り講演活動、後進のために多くの書を遺された。
老計・死計とは、五福の完成
恵峰先生は幸福になる5つの要素を実践され完成された。人間の幸せは、五福(長寿、富、健康、道徳を好む、天命を全うする)である。94歳の天寿を全うするのは大変だ。
その後ろ姿がその五福を実践する姿であった。いくら立派なことを言っても、病気ではダメだ。早死にしてはダメだ。貧乏ではダメ。がめついだけで徳が無ければ、人はついてこない。
人が死んで残るのは、その人の徳の航跡なのだ。その人の想い出なのだ。カネはあの世に持って行けない。残ったカネにはなんの有難みもない。すぐ消える。しかし思い出は何時までも、後進の心に残る。
花鳥風月の世界に
私は、今まで理工系の社会で生きてきて、かならず数値的に優劣をつける社会で生きてきた。だからどうしても価値観がそのように染まりがちである。しかし、会社を離れてからは、そういう社会とは違った世界に身を置くのが良いと渡部昇一先生は主張される。だから今はそういう生活を心がけている。
馬場恵峰先生と付き合ってそういう生活を目の当たりにして、心が落ち着くようだ。それが老年期の理想的な過ごし方である。
恵峰先生の幸せ
恵峰先生は、がんが見つかったが、高齢で手術もできず、余命も見えたので、家族が自宅で最後まで面倒を見る事を決意された。それで入院もされず、自宅で亡くなられた。先生は、病院で薬漬けの入院生活ではなく、介護の人が定期的に訪問され、自宅で大勢の弟子のお見舞いに囲まれ、穏やかに過ごされた。家族が交代で先生のお世話をされ、1か月ほど自宅で過ごされ、眠るように2021年1月1日に永眠された。
私のお見舞いの訪問時は、私は先生から空気みたいに扱われた。要は家族と同じ扱いである。それが一番うれしかった。穏やかに、先生と最後の時間を過ごすことが出来て幸せであった。先生は、突然死でもなく、自然なお別れであった。私もそういうお別れをしたいと思う。それが恵峰先生の最後の「死に方」の教えであった。
最期の言葉
私が先生から聞いた病床での教えは「縁あって花開き、恩有って実を結ぶ」、「ありがとう」である。それを何度も口にされた。それが先生の94年間の人生の総括である。
馬場恵峰書
この書は2016年に贈って頂いた。先生が、この書を揮毫された2006年は、私が先生と出会った年である。それを今日、気が付いた。不思議な因縁である。
.
2022-06-28 久志能幾研究所通信 2419号 小田泰仙
「久志能」↖ で検索
著作権の関係で、無断引用を禁止します。