物への執着心が消えた
モノには精霊が籠っている。それを使わず、閉じ込めて使わないのは、精霊が悲しむことになる。精霊を悲しませて、己は幸せにはなれまい。
私は癌になり、医師から「余命2年」と宣告された。そうなると、モノへの執着心がなくなった。どうせ来世にはもっていけない。この世で、自分を幸せにしてくれるものだけが、身近にあればよいではないか。物置になっていた自宅二階の一室から、約100kgの不用品を出して、惜しみなく捨てた。着られもしない服が大量にあった。色があせたシャツなど今更着られない。今まで、如何に不要なモノを保管していたかが、呆れるほどである。
好きな絵も、選択して手放した。死後のモノの行き先も決めた。
お金への執着心が消えた
癌になって、お金の執着心も消えた。死ぬときになって、預金通帳に100万円が多いか少ないかは、大した問題ではない。お金は、自分を幸せにしてくれる道具なのだ。Some moneyと稼ぐ能力があればそれでいいではないか。それを使わず、預金通帳に閉じ込めておくから罰が当たる。そう思うと、お金に最大限のお役目を果して欲しいと思う。もっと自分と他人を喜ばせていきたい。
人への執着心が消えた
極限状態では、付き合ってきた人の真贋が見えてきた。今まで、誠実と思っていた人が、不誠実な人であったことが露見して、興ざめである。去る者は追わず、来る人が福の神である。縁なき衆生は、不義理という雑音を放出している。
誰のお陰で
今、自分があるのは、先祖の親の師の友人の御恩があって、今の自分が生きている。ゆめゆめ自力とは思うまい。それに気が付かされた。
時間への執着心
余命2年と宣告されると、時間への意識が研ぎ澄まされる。時間に無頓着な人との付き合いは、今まで以上に避けるようになった。今できることは、今しないとできなくなる日が近い。思いついたら、すぐ実行するようになった。それでだめなら、方法転換をすればよいのだ。
弱者の眼
癌の手術後、15キロも体重が減り、食べるに食べれない。悪循環で体力が激減である。歩いても、子供連れの親子に追い抜かれる情けなさである。弱者にならないと見えてこないものがある。如何に今まで自分が強者で、自己中心的に考えて行動した来たかを考えると恥ずかしい。癌になったのは、仏様のご差配であると悟った。今まで、見えてなかった真実に気付かせていただいた。
馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」(久志能幾研究所刊)
本、番組、行事とのご縁
その本や行事に接して、今後の自分の生き方に糧になるのかを考えてから、選択して接する様になり、無駄なことに時間を無駄遣いすることがなくなった。ある番組を見終わってから、なんとつまらない時間を無駄にしたかに、後悔することが増えた。だからその前に、それを防ぐ智慧が付いた。番組途中でもスイッチを切ることにした。如何に今まで、付加価値が薄い情報に接してきたかにである。時間は命なのだ。
2019-05-14 久志能幾研究所通信 小田泰仙
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