私の家では、年に一度、菩提寺の僧侶に棚経を上げてもらっている。しかしご先祖に血の繋がりのない人が上げるお経より、子孫の私が直接、お経をあげたほうが喜ぶはずではないかとの思いに至った。これも私が癌になって思いついたこと。
痛い目
その昔は、菩提寺の住職に棚経を上げてもらっていた。その住職は、2002年、父の枕経を上げてもらう深夜の緊急時に行き先不明で、私は途方に暮れた。その住職は棚経では私の家への道に迷うわ。時間には1時間も遅刻するわ、その遅刻の罪の意識がないのか、遅刻のお詫びもしないわ、世間話もかみ合わずと、当時から少しおかしいとは思っていた。相手が菩提寺の住職なので、苦情も言うに言えない。
後日、その住職は、アル中・認知症になり、入院して引退した。今思うと、認知症の為か、その読経は言語不明瞭で、聞くに堪えない部分が多々あった。その後の2016年、ご先祖3名の戒名の間違いが露見して、位牌と墓誌を作り直す羽目になった。100万円以上の損害である。しかし菩提寺からなんの詫びもない。人から、「よく菩提寺を変更せず、我慢したのね」と言われるほどで、変更しても非難される筋ではなかった。しかしお墓と過去帳が人質になっているので、菩提寺の変更は現実的には難しい。
結論
以上の経過からお経は、血のつながりのある自分が、ご先祖のために心を込めてお経をあげるのが、一番、ご先祖が喜ぶはずとの結論になった。職業人の僧侶にお経をあげさせている中、自分が黙って聞いているだけでは、ご先祖も喜ぶまい。他家では、早くお経が終わらないかと、お経には上の空で、しびれを切らしている輩が多いという。それで僧侶はお経を早めに終わるという。なんのための棚経かと思う。
改善案
僧侶に棚経を上げてもらうのを止め、自分で経を上げれば、それで年間5万円(お車代やお供え等の雑費も含む)、10年で50万円、40年間で200万円の節約である。そのお金をご先祖や自分のために使えば、もっと吾が人生に付加価値を出せるはずだ。今でも、私は毎朝、仏壇の前でお経をあげている。
聞けば、行きつけのお店の人も、お寺からの定期的な読経は止めたという。
お寺さんも、読経で付加価値を出さないと、檀家(顧客)からそっぽを向かれる。宗教は市場原理が働かない世界であるが、それでも檀家の眼は厳しい。これではお寺離れが進んでも致し方ない。
生活VA
実際問題、癌になるとお金もかかり、無駄なお金を節約せねば、やっていけない。私でも、癌になって、既に半年間で500万円が消えた。生活が大変である。今、生活VAで経費節約のネタを探している。
2019-05-15 久志能幾研究所通信 小田泰仙
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