今日(9月7日)、町内の方より、立て続けに2件の死亡連絡を受けた。時節柄2件とも家族葬である。この訃報が私のブログ記事「希望を持ち、努力で老道を歩み、感謝して永眠する」の翌日なので、なにか神仏の啓示を受けた気がした。人が老化すれば、死に近づくのだ。どんな事象もメッセージを自分に発している。それを真摯に受け止め、今後の生き方を見直したい。
一人の方はこの春に町内の悩ましい案件で、一緒に打ち合わせをしたばかりのご縁である。73歳でガン死である。暫らく顔を見ないなと思っていたら、この訃報である。この方は、自分とあまり年齢が変わらないし、自分も3年前にがんを患ったので、他人ごとではない思いである。
もう一人は、町内最高齢の102歳の方である。天寿である。それはめでたいことだ。長寿は3大福の一つである。福禄寿こそお宝で、人生に頑張った証しである。
人間稼業の見直し
死とは人間稼業の廃業である。人間は「人生」という事業を展開している。その事業を経営する以上は、何度もその事業の見直が必要だ。それに遅すぎることも多すぎることもない。
人は、定年退職をして悠々自適の生活でも、何らかの社会貢献はしているはずだ。人生事業を経営するには、事業の定義の定期的な確認が必要だ。この世で永続するものはない。どんな事業も何時かは、衰退するし、その定義自体も陳腐化する。
ドラッカーはそのため、①事業環境の定義、②使命とするものの定義、③強みの定義を見直せと言う。
自分が生きていることが社会に役立っていなければ、人生事業を継続する意味がない。それでは、生きているのではなく、生き長らえているだけの存在となる。会社でも、人間稼業でも、生きている限り、社会に付加価値を与える存在でありたい。
生きるとは
生きるとは、「必ず死ぬ命」をかかえて、過去・未来を振り切り、今、自分に与えられたお役目に全力を尽くすこと。
定年後、自分が置かれた環境で、自分が社会にどんな貢献をしているか、見直すのはよいことだ。自分の使命を見直すのも必要だ。その使命を全うするのに、自分の強みは何かを再確認するのも必要だ。そうすれば、生涯現役として生きられる。
馬場恵峰書
2022-09-07 久志能幾研究所通信 2485s 小田泰仙
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