1994年8月11日、ミシガン大学での夏季テクニカルライティングセミナーに参加した後、ワシントンの美術館巡りをした。その一環でホワイトハウスを見学した。
ワシントンには年間150万人もの観光客が訪れるが、その中でもホワイトハウスは超人気スポットである。あまのじゃくな私は、この旅行の「クライテリア」を「美術館・博物館におけるコミュニケーション技術の観察」と定義して、そんな俗っぽい名所には行きたくもないと思っていた。しかしコーコラン美術館に行くため、横を通ったら行列に巻込まれてホワイトハウス・ツアー(無料)に引きずり込まれしまった。なんと意思の薄弱なこと・・・。でもホワイトハウスに行って正解であった。
ここは準美術館扱いをしてもよいほどの内容がある。ここへの入場には、手荷物のX線チェックと金属探知機のゲートを通らなくてはならない。セキュリティはさすがである。当時はまだ911事件が起こる前で、米国内で、こんなセキュリティをしている場所は少ない。
また内部は撮影禁止である。各部屋の造形、調度品、飾られている美術品等を見ると,まるで一つの美術館の趣がある。各部屋の造りも格調が高いがけっして率美ではなく、どちらかというと質素でさえあるのが気持ちがよい。各部屋 も 「グリーンの間」、「青の間」、ファーストレディ用の客間の「赤の間」、居間、図書室、食堂等 と独特の名前が付けられ、内部装飾、絵画、調度品などに格式を感 じる。
暗殺された リンカーン大統領とケネディ大統領の遺体を安置したこともあるレセプションルームは、その事実を聞かされるとこの建物の歴史を感じた。各装飾から、ヨーロッパから新大陸に移住した人々が旧大陸を思いはせて古きヨーロピアンスタイルで装飾 した気持ちが分かる。
このレセプションホールが1961年、パブロ・カザルスがホワイトハウスで演奏をした場所のようだ。当時はそんな音楽関係には興味がなかったので、そこまで気が回らなかった。
この大統領官邸まで公開してしまうアメリカのオープンさには脱帽である。寡聞にして、日本の首相官邸の観光ツアーは聞いたことがないのが残念。古い、狭い、汚い (?)との評判がある日本の首相官邸は国の恥であろう。首相官邸新築のGOサ インを出した中曾根さんはえらいと思う。国民の税金の無駄遣いの批判とは別に、出すべきものは出さないと世界から笑われる。
個人の運勢は、家相 50%、名前 30%、残りが個人の努力で決まると言う人もいる。
この説には全面的には賛成できないが、家相がその人の運命に大きな影響を与えることは否めない。狭い、暗い、汚い家では、働く意欲、明日への活力もでてこまい。そういう点で家相は科学的である。同じことが国の運命にも当てはまると思 う。国の主人は大統領、首相である。この広く、明るく、気品あふれた建物は、国の主人である大統領に、米国を世界一の国にさせる働きをした要素の一つである気がする。日本も、現在の国力に見合った首相官邸を早く建ててほしいものだ。(1994年当時)
入口と正面の鉄柵内側の芝生に置かれた全天候型スピーカが、混雑した人々に案内と解説をしていた。このサービスぶりには、観光地としての気配りとパーフォーマンスを感じた。
初稿 1994年
2022年9月11日 追記
ホワイトハウス ガイドブックより
パブロ・カザルスが演奏をしたレセプションホール 1961年
「パブロ・カザルス ホワイトハウスコンサートCD」より
ホワイトハウスの外柵付近の人だかり 1994年8月11日
玄関(裏口?) 1994年8月11日
1994年8月11日
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2022-09-11 久志能幾研究所通信 2488 小田泰仙
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