先日、小田五郎氏(父の兄弟の五男)の為写経を終わったことに、なにか因縁を覚えた。明日8月15日は小田五郎氏の78回目の命日である。小田五郎氏は昭和19年8月15日、インパール作戦で戦死を遂げた。享年24歳である。
為写経は、12人のご先祖の為に、順次、約10日に一枚のペースで行っている。たままた8月15日の目前に小田五郎氏の為写経が完成した。そのご縁で、インパール作戦を思い出した。
インパール作戦
2015年10月8日、私が高野山に行ったとき、ビルマ戦線での戦没者慰霊碑を発見して、ビルマ・インパール作戦で戦死(昭和19年8月15日)された父の兄弟で五男の小田五郎氏の無念を思い、手を合わせた。インパール作戦では、日本陸軍の損害は、戦死者が第15軍の主力3個師団で計11,400人・戦病死者が7,800人・行方不明者1,100人以上(計20,300人以上)にのぼり、そのほか第15師団だけで3,700人の戦病者が発生した(『戦史叢書』による)。
ビルマ・インパール作戦では、2万人余の戦死者が出た。その多くは戦死者以外にマラリアや餓死等であり、その主の原因は司令部のずさんな作戦ミスにある。戸部良一氏は、『失敗の本質』において、インパール作戦でずさんな計画が実行された原因について、牟田口軍司令官や河辺方面軍司令官の能力も影響しているが、より重要なのは「人情」という名の人間関係・組織内融和が優先されて組織の合理性が削がれた点にあると主張している。組織のトップがその責任を果たさなかった場合の結末は悲惨である。
父の兄弟の四男
2016年1月6日、長松院で祖母の追善供養の法事の打ち合わせをした後、思いついて彦根護国神社内にあるシベリア戦没者慰霊碑に向った。その慰霊碑の裏面を見て、そこに父の兄弟で四男の小田史郎氏の名を発見して、改めて厳粛な気持ちになった。今まで数回ここを訪問しているが、裏面に小田史郎氏の名前があることには気がつかなかった。お墓の開眼法要も終り、戒名の訂正と祖母の追善供養の段取りが終った後での発見である。何か導かれたようだ。
共産主義という敵
改めて共産主義国家ソ連の非道さを考えることになった。貧富の差をなくすため共産主義が生まれたが、実際は資本主義以上の貧富の差を生み、一部特権階級のみが極楽の生活を送る。現代の皮肉である。その轍を中国共産党が踏んでいる。1950年代の大躍進政策で、自国民推定で2,000~5,000万人を餓死させたことで毛沢東は、生涯でただ一度自己批判をして党主席を辞任している。5,000万人を殺しても責任を問われたわけではない。
グローバル経済教という敵
企業が勝ち抜くためのベストプラクティスとして、資本主義社会でグローバル経済主義が横行しているが、結果は貧富の差の拡大があっただけである。常に企業のトップの一部の特権階級のみが、美味しい目を味わい、大多数の労働者はより不幸になる仕組みである。
彦根護国神社 シベリア戦没者慰霊碑
シベリア戦没者慰霊碑裏面
上段左から2人目が小田史郎氏の名 2016年1月6日撮影
高野山 ビルマ方面戦没者慰霊碑 2015年10月8日撮影
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戦争は常に自己の国の利益を最大にしようとする利己主義から生まれる。病気との戦争も自己の欲望を最大にしようと極楽三昧の生活を送るところから発生する。己を滅ぼすのは己である。国のトップが狂えば、国が滅び、会社のトップが金儲け主義を邁進すれば、儲かるのは一時的で、長期的には衰退する。ご先祖から頂いた体をその欲望のままに生活すれば、病気になり早くあの世に旅立つのも故あること。
ご先祖が戦争で非業の死を受けたことや、世界の多く人が理不尽な扱いで命を奪われた歴史の事実を凝視すると、自分が受けてきた諸般のことは、なんと小さいことかと思い知らされる。小さな人間の力では何も出来ないかと、無力感にも襲われる。しかし艱難辛苦を浴びたご先祖に比べて、今の自分の幸せさ、生きていること、生かされていることに報恩感謝の念が沸き、未来へ希望を持って生きていきたいとの想いが出てくる。
2022-08-014 久志能幾研究所通信 2462 小田泰仙
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