決断に迷うのは、自分の残り時間を考えないからだ。還暦を過ぎたら、あと何回、その決断をできるというか。あと何回、除夜の鐘を聞けるのか? 日本人男性の平均健康寿命は72歳である。人間は還暦を迎えれば、死へのカウントダウンが始まる。人生百歳時代と囃されても、平均健康寿命72歳は現実の姿である。
百歳以上まで生きられるのは、日本の総人口126,146,000人中で86,010人である(2021年)。つまり約1,466人中で、たった一人だけである。それも病気持ちが大半である。高齢で病院通いになれば、大きな決断などできなくなる。寝たきりになれば、決断は介護者に全てお任せである。胃瘻でもされ、ベッドに縛り付けられた日には、自分で死ぬこともままならぬ。75歳にもなれば4人に一人は認知症である。2人に一人はガンになり、6人に一人は糖尿病になる。その原因は、自分が生活習慣、食生活でしてきた誤った選択と決断である。
決断
「決」とは堤防を切り裂く様を表した象形文字だ。「断」とは斧で迷いを断ち切る様を表した象形である。だから一方を選べば、もう一方は捨てるしかない。それを曖昧にして玉虫色の選択をするから、魑魅魍魎の世界に巻き込まれる。
憲法解釈を曖昧にして、自衛隊を継子扱いするから、防衛政策で玉虫色の選択をして平和ボケになる。だから、竹島を奪われ、北方4島を奪われ、尖閣諸島に連日の領海侵犯を受ける。そして沖縄が狙われる。
迷い
「迷」うとは、十字路(しんにゅう)で8方向(米)のどこに行くかを決めないこと。つまり生きる指針、志、生きる目的、クライテリア、が明確でないから迷うのだ。自分の北極星が見えていないのだ。それが明確なら、それに関係ない雑事などは簡単に決めて本業に邁進できる。迷うから、成果が上がらない。
20回の決断
人は一日に平均20回の決断をする。小さい決断なら、コーヒにするか紅茶かといった些細な決断や、昼飯でレストランのメニューで迷うことは多い。その決断に2分で済ませても、一日に2分×20回で40分も消費している。それを迷って決断までの時間を伸ばしても、何の付加価値も生まない。人生の残り時間の無駄遣いである。一日40分でも、1年間で243時間、10年で2433時間である。決断に迷えば、より多くの時間が失われる。それだけ寿命が短くなる。それが2分以内で決断できれば、本業に集中できた人生が豊かになる。
また大きな問題でも即断はしなくてもよいから、早い時期に決断をしないとその旬の時を失う。先延ばしが一番良くない。
決断を問われる案件は、どうせ大した問題ではない。迷う案件は、何方を選んでも、結果は大勢に影響がない。それより決断をした後の実行の内容である。一番の悪は、決断をしない事。優柔不断にそれを先延ばしすることだ。先延ばしした時間は戻ってこない。
自分有限会社の社長の自分が迷えば、家族がその分、迷惑する。まず決めること。そこから人生が始る。
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時間の浪費 p 35
その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。
セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳)
馬場恵峰書
2022-08-04 久志能幾研究所通信 2452 小田泰仙
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