人の命は精々100年である。それに対して仏像の命は1000年である。佛師は、佛像を彫る刃に自分の命を賭ける。
自分の「作品」の命を想定して、自分は仕事をしているのか、自問したい。人は皆職人で、芸術家である。会社の一般職が扱うプロジェクトの命は、精々10年である。私はそれより長い命の「作品」を創ることに命を賭けたい。
今計画中の音楽サロンは完成後、100年は使ってもらいたい。
馬場恵峰先生の書も写真に撮って出版して、国会図書館に納めたから100年、200年は命があるはずだ。
後藤大地さんが彫った龍は、今後1000年は人の目に触れるだろう。その龍は、ある都市の山車に付けられる。お祭りごとに人の目を奪う。うらやましい限りだ。
人は100年の命を賭けて、何を作り、何を遺して逝くのか。それが人の生き方として問われている。私はその時期が迫り、それを意識せざるを得ない。
成長モデル
仕事、使命
仕事とは、命を使うことだ。仕事に時間(命)を捧げるとは、自分の命を捧げる事だ。仕事とは「事」に仕えることだ。食い扶持を得るために仕事をしているのではない。それは作業である。人間として生きるなら、「業」を「作る」のではなく、仕事で「事」に「仕える」べきだ。犬畜生は生きるために、獲物を得る作業をしている。人間はそうであってはならない。
日常の政治経済、生産、商業、農業の営みは、全て布施である。すべて世の中に貢献している仕事である。橋を作るのも、船を作るのも、すべて布施である。
然あれば即ち一句一偈の法をも布施すべし、 此生佗生の善種となる一銭一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝を貪らず自らが力を頒つなり、 舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産業固より布施に非ざること無し。(第21節)
道元禅師 修証義 第4章
自分の命は、40億年続いたご先祖からのDNAの継承である。人とは「霊止」と書く。ご先祖の霊が、今の自分に宿っている。だから単に生き永らえるために、糧を求めるだけで作業をしてはならぬ。
地獄の業火
グローバル経済主義で、金儲けだけが目的の「作業」だけで一生を終えては、人として情けない。米国のグローバル経済の邪鬼や、中国共産党のように、なるべく楽をして、他人からカネを集めるだけのことは、仕事ではないだろう。その「事」で、一人だけが幸せになり、99人が不幸せになるのは、「業」を作っているのだ。それは地獄の業火で焼かるだろう。
日本の企業人がグローバル経済主義に染まり、金儲けだけ動いているから、日本の景気が良くならない。自業自得である。自分有限会社の経営は、そうならないように精進すべきである。
馬場恵峰書
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2022-08-012 久志能幾研究所通信 2460 小田泰仙
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