良き師、良き友が人生を豊かにしてくれる。その師と友と出会うため、霊感力を高める努力をすることだ。霊感力を付けるために、神になることだ。佛になることだ(「佛」とは、「人」に「非ず」と書く)。無私になることだ。無欲になることだ。そうすれば、見えないものが見えてくる。出会う万物は、声なき経を唱えている。その声を聴け。
霊感に曇りを与えるのは、欲である。物欲、権力欲、色欲が目をくらませる。
出会うための「選択」は、出会った後の努力より重要である。
間違った選択では、いくら努力をして報われない。出会った狂祖を師と間違え、間違った選択で、修行に励み、サリンを撒いて絞首台への道を選んだ高学歴のオウムの若者達もいた。
我々は彼らを笑えない。日本人の多くがテレビの洗脳教育に犯されている現状だから。日本人は、そのマスコミの洗脳教育で、新型コロナより怖ろしいガンの病から目を逸らされている。
外見的なことだけでは、師も友もその本質が見えない。その時に頼れるのは身に付いた霊感力だけだ。
しかし霊感力が無くても、相手の振る舞いから、付き合ってはならない人の区別はつく。それだけでも、良き師、良き友と出会う一助になる。それで地獄に行かずにすむ。人相からのメッセージ、振る舞いの匂いから、その霊感を高めよう。
初めて会った時、付き合っている時、オカシイと違和感を覚える人は、やはりおかしいのだ。自分の霊感を信じよう。自分の霊感には、数十年間と生きてきた経験という蓄積がある。
人生最大の危機
私が騙されそうになった事件は、ある新興宗教団体からの「お誘い」であった。ある会社の社長からの話であった。ある経営研究会の元会長からの話であったので信用した。「貴方は選ばれたのです。普通の人は簡単には入会できません。入会すれば貴方の家は特別に永遠に仏様から守られるのです」と。
なんで私ごときが?との疑問も出て、その過程で自宅内で骨折事故が起こり、それで霊感が働き、目が覚めた。もし騙されて入団すれば、1千万円近くを貢ぐことになったようだ。多分それで私の人生は終わっただろう。
その教団に関するネット情報では、その種の情報で溢れていた。私を勧誘した人の上司にあたる税理士法人会の会長からは、「ネットには嘘の情報が溢れているから、見てはならない」と禁止された。禁止されれば見てしまうものだ。その情報で私は目が覚めた。
そしてその悪い情報は、その教団のIT部隊の手で直ぐ書き換えられていて、書き込みと削除のいたちごっこであった。私がつい先ほど見たはずの情報が消えている。それが頻繁であった。これは2011年ごろの話で、現在でもその教団は大活躍中である。退会するための訴訟も数多く起こされ、話題の多い新興宗教団体である。現在でも時折、週刊誌の怪しい話の記事を盛大に提供している。今でも騙される人が絶えないようだ。
馬場恵峰書 2015年12月15日 日中文化資料館にて
2022-07-02 久志能幾研究所通信 2423号 小田泰仙
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