積水至夢 一期一会の出逢い

 

生と死

 その番組、その本、その雑誌、そのネット記事、そのビデオディスク、その人の話との出会いは一期一会である。それと向き合うことで、それが自分の血となり肉となって、自分の人生を豊かにしてくれるか。それを考えて、自分の有限の時間を投入しよう。

 その人という対象物(ご縁)に自分の時間を割けば、もう一つの「本」や「人とのご縁」という対象物とのご縁が「亡くなる」のだ。両方を得ることは時間制約的にできない。人間には限られた時間しかないからだ。それがご縁の生と死である。

 

有限なご縁の生

 人生が残り10年とすると、読める本や会える人の数は限られている。1年に12冊読むとして、死までに120冊しか読めないのだ。新しい出会いも、毎月、新しい出会いは1人としても、残り人生で120人としか出会えない。一人と出会えば、もう一人とは出会えない。一つ一つが大事な出会いなのだ。

 その残り人生時間を拡大する手段が、健康である。だから死んでもいいから健康である。私は通常は残り10年の余命を、なんとか37年まで延ばす取り組みをしている。それには、家を新築すると良いと信じている。

 

縁慮

 その大事な出会いの最中に、割り込んできた電話に出れば、今のご縁の生が死に向かう。それでは相手が怒って当然である。「今、来客中、あとで電話する」と縁慮させればよい。それが時間の有限さを大事にすること。

 

挑戦

 残りが限られた人生で、達成できないはずの夢に挑戦するのも、人生の活性化には良い刺激だと思う。夢なき人生を無為に送るのは避けたい。私は、「一生叶えられない夢をもつ」ことが大事だと学んだ。棒ほど願って針ほど叶う、それでよいではないか。

 今日(2021年10月8日)、夢の実現のための「小さな」一歩として、昨夜友人との電話でヒントを得て、積水ハウスのモデルルームに行ってきて、良き刺激を受けた。頑張って第3の家を建てようと決意した。

 

積水至夢 

 夢の実現とは、流れる水の上に字を書き続けるような行為である。流れても流れても字を書き続ける。具体的に動けば、具体的な答えが人生で返ってくる。その水が積み重なれば(積水)、何時かは夢の実現となる(至夢)。千里の道も一歩より。

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 馬場恵峰書

2021-10-08  久志能幾研究所通信 2173   小田泰仙

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