がん治療で迷走鬼になる: 担当医との闘い

 

 私が2年半前にがんの手術を受けた。その治療で6人の対戦医師がいた。その闘いでは、彼らのがんへの戦法が総て違っていた。私は誰を信じて癌に向き合えばよいか、それが最大の問題であった。

 

がんと共生

 がんの治療で、最大の間違いは「がんと闘う」ことである。闘うというから病気が治らない。今までの生活スタイルが、がんを発生させた原因である。原因と対策を考えないと、病気は治らない。がんは一過性のデキモノではない。「一つの生き物として生き方が間違っていた」と自身の細胞ががんと言う形で教えてくれている。それを直さない限り、ガンを切除しても、別の場所に再発するだけだ。闘うべきは、自分の間違った食生活、生活習慣である。

 それを教えてくれた恩人と「闘う」というのが間違っている。闘病生活とは、間違った言い方である。「がんと共生」が正しい付き合い方なのだ。それを指摘しない医師は味方ではない。だから薬もサプリメントも抗がん剤も、全て不要である。

 

入院の意味

 なぜ一般の病気が入院すれば治るか? それは入院で規則正しい生活を強いられて、暴飲暴食をなくして、内臓が休息できて、自己修復力で不調が治るのだ。医師は治療などしない。治すのは自分である。

 

父のがん死からの学び

 2001年、父に癌が見つかり、父の主治医が「切れば治ります」というので、それを信じて父の手術を託した。確かに胃癌は全適して治ったが、半年後、肝臓に転移をして、その半年後に逝ってしまった。結果的に高齢の父を手術で苦しめただけになってしまい、後悔している。手術をしなければ、数年は生きていたはずだ。

 父の手術の半年後、担当医師より、父のレントゲン写真を見せられた。その肝臓には。多くのがんの斑点が多くできていて、手術では手の施しようがない現状を思い知らされた。私は父への肝臓手術を拒否した。抗がん剤治療も拒否をした。そうしたら医師は「やることがないので、大垣市民病院を出ていけ」である。

 病院として、治療をしない患者を法律的に入院させたままにできないという。現代医療制度の矛盾を感じた出来事である。「切れば治る」と言ったから手術を承認したではないかと言っても後の祭りである。85歳の高齢の父に、胃の全摘手術を許したのは間違いであったと思う。大慌てで父を別の終末病院に入れた。

 

医師の言葉

 父の癌の手術をしてから、担当医師は「何も生活スタイルを変えなくてもよい」と言った。私は愚かにもそれを信じた。それと同じ言葉を、私も20年後に自分の手術後に聞かされた。外科医は切るだけが仕事、再発防止は外科医の仕事ではないと割り切っているのだ。それを信じた私が愚かであった。

 がんが出来たのだから、発生原因を特定して、それに対して対策を打たなければ、再発は必然なのだ。それを父が死をもって教えてくれたのだ。それが頭にあり、自分が癌になってから、癌関係の本を読み漁り、医者を探しまくった。横浜市、名古屋市、養老町、久留米市と計6人の医師と向きあった。

 私は抗がん剤治療を拒否したので、抗がん剤処方の薬物医師とはけんか別れである。

 担当医師からは、標準治療(手術後の抗がん剤治療を含む)を受けないと、命の保証はしないと脅された。

 A医師とB医師のサプリメントの考えが違い、一方は飲め、もう一人は飲んではダメと処方が違う。

 ある医師の指導で高額の血液検査を受け、その結果に基づきあるサプリメントを飲んだら、肝臓がやられてしまった。別の医師の指示で、直ぐそのサプリメントの服用を止めた。それで肝臓は復調した。医師だって、どのサプリメントがその患者に効くかは、処方しないと分からない。それを思い知った。

 再発防止の治療でビタミンC療法を受けたが、別の医師からは、ビタミンC療法は古いので今はビタミンDだと否定された。

 私のがん手術の大前提として、地元の大垣市民病院の選択は、拒否した。ある人から「大垣市民病院は野戦病院だから」と愛知県がんセンターを勧められた。20年前の父のがん手術の苦い経験もあり、大垣市民病院は避けた。

 

選択の決定は自分

 私は何を信じればよいか、自分の経験智を使い、それを選択するしかない。情報がいくら多くあっても(文殊の知恵)、それを賢く選択する能力が求められる。ネット情報は、玉石混交である。調べると逆に迷いが多くなる。文殊の知恵でも、6人も知恵者が言うなら、どれを選択すればよいのか。

 頼るべきは、巨人、大鵬、文殊菩薩様、普賢菩薩様、である。

 癌専門医が癌になる確率は、一般市民のそれと同じである。癌専門医だって癌がわからないのだ。だから自分が、癌専門医に負けない癌知識を持つことだ。自分の主治医は、自分である。

 

 下図は、私の病気回復祈願として納佛された文殊菩薩像、普賢菩薩像(松本明慶大仏師作作)

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2021-09-03   久志能幾研究所通信 2140  小田泰仙

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