碑の前の誓
私は毎朝、散歩の帰路にある大垣の被爆地の慰霊碑に手を合わす。この被爆の碑は遺族のかたがお守りをされている。私はここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。
この被爆の慰霊碑は、水門川沿いにひっそりと建てられている。その南側に、大垣藩の藩校敬教堂跡に孔子像が建っている。孔子様も戦乱が続く古代中国では、無力であった。だから徳を説いたのだ。2000年経っても、孔子が生み出した価値(論語)が生きているのは素晴らしい。人は2000年経っても、その本質は変わらない。
人種差別
原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかったはずである。70年経った今でも、白人の有色人種への偏見は消えない。2021年4月には、ミネソタ州白人警官による無防備黒人の過剰防衛殺人に対して、第二級殺人事件で起訴されたばかりである。
アメリカに移民した英国の祖先たちは、アメリカ原住民インディアンの950万人を殺害した。西部劇で、インディアンは悪者であった。それは白人の洗脳教育のお話しである。白人は後からアメリカ大陸に移民してきて、先住民の土地を奪い、インディアンを追放し、殺害した。白人社会では、だれも問題にしない。どちらが正しいのか。だから現在、インディアンは50万人しか生きのこっていない。だから私は西部劇を絶対に見ない。白人のそのDNAは変わらないことを歴史から感じる。我々は現代社会を生き抜くために、もっと歴史を学ぶべきだ。
日本の外は、今でも魑魅魍魎の世界である。価値観が違うのだ。昨日(8月15日)、タリバンが内乱状態のすえ、アフガン首都を占領して戦争勝利を宣言した。世界はまだ戦争の時代である。日本人は余りに国際情勢を軽視して、歴史を忘れすぎる。
ジェノサイド
国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさ故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内ではこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。
1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、この理由で袋叩きにあい、辞任に追い込まれた。私は、1997年夏、スミソニアン博物館を訪問して、その経緯をエノラ・ゲイ展で目の当たりにした。
原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。それが戦後、日本の原子力発電事業に食らいつき、2011年に福島原発事故を起こした。もう少しで、東日本が消えるところであった。
スミソニアン航空宇宙博物館のエノラゲイ展で 1997年 撮影 著者
FAT MAN(長崎投下の原爆)
スミソニアン航空宇宙博物館のエノラゲイ展で 1997年 撮影 著者
2021-08-16 久志能幾研究所通信 2121 小田泰仙
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