良く死ぬために、ボスが君臨するサル山を下りる(2/7)

 

自己の価値観

 群れたがる人とそうではない人の差は、若い時からの勉強量の差とその継続性の有無である。人生で危機感を持って自ら学んできた人は、自尊心の明確化と価値観の確立がある。だから無意味な集まりに群れることもない。

 群れたがる人はあっちにフラフラ、こっちにフラフラとさ迷っている。それでボスの金の引力で群れ社会に入ることになる。それでは主人公の生き方ではなく、奴隷の人生である。

 群れるとは、サル山の支配者ボスに迎合し、従い、ボスを人生の師とすること。朱に交われば赤くなる。それでは悪縁を招く。

 私も一度、その群れ社会の宴会に参加したことがあったが、同席者と話が合わず苦痛であった。まるでヤクザの襲名披露宴であった。それは会社のОB会で、旧上司が威張り、昔の上下関係が変わらず、その場の話題が、病気や嫁の悪口ばかりであるのとよく似ている。

 

ヤクザの襲名披露宴への招集令状

 1975年頃、やり手のM上司が次長に昇格して、関係部員約100名を招集して泊りがけの大宴会があった。そんな事例は初めてで、私は行きたくはなかったが、立場上で拒否はできない。宮仕えは辛いもの。仲間の多くは「これはヤクザの襲名披露だ」と陰でボヤいていた。たかが宴会で、その場で全員集合の襲名披露記念写真?まで撮った。やり過ぎだ!

 私の同僚は、体質的にそのM上司と合わないと感じた。彼はそのM上司の時代が今後長く続くと予想して、会社を退職して、受験勉強をして大学院の編入試験を受け、進学して別の人生を歩んだ。それも人生の選択であった。

 その上司は、予想通り、その後も飛ぶ鳥を落とす勢いで出世をして、役員にまで上り詰めた。そんな羽振りによい上司であったが、最後は女に手を出して失脚した。

 

ヤクザのライバル

 当時、そのM上司の出世ライバルであった石田課長と大谷次長を出世競争から蹴とばした。石田課長は石田三成の末裔である。大谷次長は、関ヶ原の合戦の西側大名・大谷吉嗣の末裔である。

 石田課長の名言。「俺は君が仕事をしやすいように環境は全て整えてやった。後、やるかやらないかは、君次第だ」この言葉は忘れられない。

 私の当時の指導主任は石田課長の薫陶を受けた。そんな石田課長とそのM上司が、そりが合うわけがない。そのM上司が更に出世したら、早々に石田課長を社外に飛ばした。

 大谷次長(当時)は、今でも毎年夏、関ヶ原の合戦場に先祖供養に行かれる。私はその親戚が経営するアパート大谷荘で16年間お世話になった。

 

北欧出張で群れを強いられ苦痛

 1985年、仕事の関係で北欧の自動車メーカに4か月間、設計担当として機械納入で出張をした。その時、機械据え付けの担当者達と一緒であった。そこでの苦痛は、夜のホテル生活である。私は、夜、部屋でゆっくりしたいのだが、現場担当者達のボスがそれを許してくれず、一部屋にみんなと群れて過ごさねばならなかった。私は出張責任者として、彼らがつむじを曲げると困るので、嫌々付き合った。今風に言うと、思考の多様性を否定されたのだ。

 仕事が終わってホテルに着いてから、毎晩、一緒に食事に出かけ、10時ごろまでボスの部屋で群れて「拘束」されると、自分の部屋に帰ってからの寝るまでの時間がほとんどない。自分の勉強時間が無くなるのだ。それが一番苦痛であった。

 

うつ病対策?

 現場の人たちは別の価値観の世界で生きている。今にして思うと、海外出張では、現場の人は孤独には弱いようだ。精神的に弱いから、ノイローゼ(うつ病)になるのを防ぐために群れていたようだ。現場のボスは、それを知っていたから、夜は半強制的に一緒に過ごすようにしたようだ。それと比較すると私は精神的にタフであった。鈍感だったかも?

 

一人になる幸せ

 1か月後、機械の据え付けが予定通り終わり、彼らが帰国した。私は現地で一人になってホッとした。彼らは私が一人になることを気の毒がっていたが、全く逆であった。それから夜は、快適なホテルの部屋で、仕事をしたり、読書をしたり、漢文の勉強や、英語、スウェーデン語の勉強をしたりと充実した時間を過ごせた。

 私はスウェーデン滞在中に、テレビも酒も嗜むことはなかった。

 ホテルのテレビも興味ある番組は全くない。スウェーデンのテレビでは暴力場面禁止、セックス場面禁止で、討論会の番組ばかりで極めて真面目でつまらない。スウェーデンのテレビは、日本の扇情的な番組と大違いである。おかげでテレビを見なくても済んだ。

 私は酒に弱く、そんなに酒が好きでないので、酒に溺れることもなかった。またスウェーデンはアル中が多いので、酒の販売規制が厳しい。外人はパスポートがないと酒が買えない。スウェーデン人でも17時からしか酒は買えない。酒屋は17時から長蛇の列である。

 

「群」の語源

 左編は「口」+「尹」。尹は神事をつかさどる族長の意味。のりとの意味を表す口を付し、きみの意味を表す。「羊」はさまよう家畜の意味である。

 音符の「君」はむらがるの意味。むらがるひつじの意味から、群れ(むれ)の意味。

 要は、「群れる」とは、ボスに支配された世界を表す漢字である。

 インテリなら、サルに支配されるのは恥である。

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊

 

2021-06-10   久志能幾研究所通信 2056  小田泰仙

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