主人公
人間として生まれたのなら、人生の主人公を目指すべきだ。年長者になれば、群れて金魚の糞のように振舞うのは恥である。それは年長者の証ではなく、単に長く生き永らえただけのこと。船が出港しても、嵐に翻弄されて、湾の周りを漂っていただけでは、長く航海したとは言えまい。
寂しいから群れるのでは、自主性がない。群れていれば、考えなくてもよいから楽なのだ。群れる仲間は同類だから刺激がなく、人間としての成長がない。それでは認知症への道である。餌(宴席、酒、女)に釣られて群れるようでは、人間として卑しい。群れる人間は卑屈である。何のために今まで人生修行をしてきたのだ。人間なら、人生の「主人公」として、毅然として生きていきたい。
孤独力
群れる人間には、孤独力がない。上に立つ人間には、孤独に耐える力が必要である。一国の将は、万人が反対でも、自分を信じて一人先頭に立って行かねばならぬ。
自分は37兆個の細胞の集合体である人間の将なのだ。群れたいという煩悩を抑制せねばならない。自分は108人の煩悩という部下の指導者なのだ。自分は連綿と続くご先祖様達の現代の代表なのだ。だから一人でいても寂しくない力を付けねばならぬ。
何時かは一人になる。死ぬ時は、必ず一人である。一緒にあの世に行ってくれる人は、心中相手以外にはいない。
人生で主人公になるとは、佛になることだ。その師は天であるべきだ。人生の最終目的は成佛である。佛は、人に頼らず、迎合せず、忖度せず、他と比較せず、悟りを目指し、自分の菩薩道を一人歩む。
馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」 久志能幾研究所刊
2021-06-10 久志能幾研究所通信 2055 小田泰仙
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