隣の死場腐はアホく見える(隣の芝生は青く見える)。
隣の客はよく喰う客だ
先日、某カレーチェーン店でカレーを注文した。注文した商品が来るまで、私の隣のカウンターに座った若い女性客を見るとはなしに、観察して呆れてしまった。
まず私と食べる量が違う。食べる種類が違う。食べるスタイルが違う。体格が違う(彼女は太り気味。だから必要エネルギーが違う)。
これでは、彼女は加齢なる肥満神に恋されて、早晩、死場に送られる。肥満は万病の元である。現代人は飽食で、食べ過ぎである。彼女は飽食に魅せられた子羊であった。
死神の攻勢
食品業界は、もっともっと食べろと、あの手この手で攻めてくる。敵の担当者も成果主義に攻められて、真地目にやらないと担当者はクビになる。だから敵も必死である。
飲食店は、お客の健康など知ったことではなく、一番儲かる売り方で、客に食品を提供する。儲かるなら、客の健康を度外視して、必要以上の分量を標準分量として設定する。
そうすれば客の体が大食漢になって、より多く食べてもらえるようになる。それが敵の付け目である。
その昔、味の素が利益を上げる方法を社内で募集したところ、瓶の注ぎ穴の大きさを大きくするという案が採用されたという噂があった。それが食品メーカの体質を象徴した寓話である。
自分の城は自分で守る
それ故、自分の城は自分で守らないと、食の業界から病気にさせられる。最大の自分の城とは己の体である。私が癌になったのも、この40年で日本人の癌が4倍に増えたのも、医療費が4倍になったのも、飽食が一因である。
飽食は肥満に繋がり、高血圧、糖尿病、癌、認知症等の多くの病気を招く。食べ足りなくて病気になった人はいないが、食べ過ぎで命を落とした人は多くいる。
馬場恵峰書
それでも利益第一主義の業界は、その暴走が止まらない。それを止めるのは、己の自制心である。私は癌になって死線をさまよい、やっと目が覚めた。人は痛い目に会わないと、目が覚めない。
彼女との差 分量
そのカレー屋では、標準のお米の分量は300gである。私が食べるお米の量は通常100gである。そのカレー屋では最低の分量が150gなので、仕方なく150gのスモールサイズで注文している。
お米は糖質の塊である。それが300gもあるカレーは、食べ過ぎである。温かいご飯は食が進む。だから私は家では、なるべく「冷やし飯(冷めたご飯)」で100gに限定している。そうすれば摂取カロリーも20%も減る。
私は癌の手術をしてから食事量が約4割減った。体重は25キロ減である。それからいくら食べても体重が増えず、この1年間ほど平衡状態である。それでも普通に生活ができているので、今までが食べ過ぎなのだ。
食べる種類
彼女の選択は、トンカツと唐揚げをトッピングしたカレーであった。
私の選択は、海の幸と野菜のトッピングのカレーである。私はドクターストップで油分の塊であるトンカツはご法度である。唐揚げもご法度である。
この食生活では彼女は将来、高血圧、癌、心筋梗塞になる恐れがある。
食べ方
彼女はスマホで動画を見ながらイヤホンで音を聞いて、黙々と食べていた。ゆっくりと咀嚼するのではなく、食べ物を流し込んでいるようであった。それではどれだけ食べたかが、自覚なく大食いしてしまう。体から満腹のサインが出る前に、完食してしまうからである。それが肥満の原因となる。現在の太った体が、日頃の生活ぶりを表していた。
私は食べることに専念して、ゆっくりとよく咀嚼して食べた。意識しないと、カレーは流動食のように早く食べれてしまう。よく噛まないと、頭への刺激がなく、認知症になりやすい。
親の教え
食事は真面目に、食べさせていただく命に感謝して、ゆっくりとしっかり咀嚼をして食べよう。
2年ほど前、恵峰先生宅で食事をして、私はいつものようなペースで食べたら、恵峰先生から「小田さんは、食べるのが早すぎる。一口一口、感謝して、ゆっくりと食べなさい」と叱られてしまった。我々は他の命を食べないと生きていけない。そのため、他の命を頂くことに感謝が必要だ。そんなことで叱ってくれる人は親も同然である。恵峰先生のよき思い出である。
2021-05-08 久志能幾研究所通信 2013 小田泰仙
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