「祈りの部屋」を新設

 

 先日、自宅の2階で、今まで使っていなかった部屋を「祈りの部屋」に改装した。今計画中の別宅の写経室とは別である。机は30年前に買って使わなくなっていたSONY 製を再利用した。当時は、SONYもオーディオのラックや事務机も作っていた。そのデザインセンスに気に入り、SONY 製のデスクを買った。

 

祈りの部屋で写経

 昨夜は0時に床に着いたが、何故か眠られず、結局、AM2時に起きだして新設の「祈りの部屋」で為写経をした。ごちゃごちゃした仕事机の上ではなく、何も置いていない写経専門の机で祈りながら、写経をすると心が落ち着く。

 

 思えば、今日は10年前に起きた東日本大震災の3月11日である。なす術もなく津波に飲まれた人たちを思うと、ひとごとではない思いが迫る。当時を思い出すと、我々は明日にも、天災・疫病・病気・事故で死ぬかしれない此の世に生きている。私は癌の再発を恐れながら生きている。今、生かされていることに感謝をした。

 祈りとは、此の世と来世をつなぐ架け橋である。祈りは、必ず霊に届けられると信じている。人は必ず死ぬ命を抱えて生きている。来世での再会を願って祈る行為が写経である。自分が使える時間こそが命なのだ。それを確認しながら、心静かに写経をして、AM4時に再度、床に入り眠りについた。

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2021-03-11 久志能幾研究所通信 1945  小田泰仙

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