「いつかはレクサス」病から解脱  天国と地獄

 

 「いつかはクラウン」ではなく、「いつかはセルシオ(レクサスLS)」がこの20年間の私の夢であった。だって僕は普通の男の子なんだもの。しかしセルシオを買うなんて、夢の夢と思っていた。クラウンは運動神経の鈍いオッサン用と思って全く興味がなかった。

 それが瓢箪から駒の如く、2018年にレクサスLSを買うことになってしまった。夢を見ると、何時かは実現するものだ。だから大きな夢を見よう。下記はその顛末記である。

 その結論は、愚かなことはやってはいけないが、やってみないとその愚かさに気が付かない、であった。愚かなことをやって、少し賢くなった。

 

家族葬で駐車場係

 2000年代の最初のころ、社長が現役で亡くなられて、葬儀のお手伝いで駐車場係を担当した。家族葬だと聞いていたので、それにしては駐車場係?と思っていたら、現地に続々とレクサス、センチュリーで弔問客が到着した。クラウンなどの大衆車?は一台もない。総数60台前後である。レクサス、センチュリーばかりで壮観であった。Tグループの家族葬での家族とは、Tグループの社長達であった。

 やはりレクサスは、黒塗りが映える。一部上場の社長で、自分でハンドルを握り、走ってもサマになるのがレクサスであった。センチュリーは後部座席が主で、それを所有して運転すれば、専属の運転手とみられてしまう。やはり買うならレクサスである。

 

天国

 2018年に馬場恵峰先生ご夫妻を彦根と関ケ原合戦場跡、伊勢神宮、大垣、岩村に招待した。その時に、馬場恵峰先生ご夫妻の送迎にレクサスを使用した。その心づもりがあったので、レクサスを買うことに躊躇は無かった。三根子先生に大変喜んでもらえて良かったと思う。それが少し遅れれば、ご縁のなかった行事である。恵峰先生は今年の正月、三根子先生は、昨年の3月に亡くなられた。レクサスを買って送迎できたのは、よきご縁であったと思う。

 

 2019年、癌の術後の治療で、距離15キロほどの医院に半年間、週2回のペースで通院した。その時、レクサスでの移動は楽であった。流石に高級車である。真夏の最中でも、安心して快適に通院できて、病み上がりの身には助かった。その時は、レクサスを買って良かったと、自分の決断に褒めたあげた。

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2018年3月 馬場恵峰先生ご夫妻を大垣から犬山名鉄ホテルまでお送りした。

犬山名鉄ホテルにて

 

地獄

 レクサスを買うと、重量税88,000円、保険88,000円、車庫代290,000円(年間)がかかる。車がデカく全長5メートルを超えるので、通常の車庫に入らない。別途、車庫を借りねばならなかった。他にガソリン代等、もろもろのお金がかかる。

 二号さんにいつも構ってやらないと、直ぐむくれる。癌の手術で2か月間、乗らなかったらバッテーリーが駄目になってしまった。その出費が大きかった。バッテーリーを上げないように、定期的に一定の距離を乗らねばならぬ。だから妾とレクサスは、乗らないときの維持費が大変なのだ。半端な金があるだけでレクサスを買うと地獄である。

 乗るときも、車体がデカいので、トラックを運転するつもりで運転しなければならぬ。小さな路地には行けない。スーパーに買い物に行くにも気が引ける。結局、以前の車(車歴20年)と二台持ちになってしまった。

 

レクサス価格の地獄

 また車の維持で、小さなことでもレクサス店に行かないと、修理も部品の補給もできない。不便である。なぜ他のディーラで点検・修理ができないのか、不満である。だからレクサス店は、集金マシンである。

 

 同じ型番のドライブレコーダーを付けても、レクサスは10万円、カローラ店なら6万円であった。レクサス店の言い分は、「大事な車だからドラレコのメーカから出張して取り付ける」とか。だからその人件費が含まれるので高い。なぜカローラ店の整備員がドラレコを取り付けているのに、レクサス店の整備員は取り付けることが出来ないのか。違和感を覚えた。

 

個人で買う車ではない

 レクサスを買う客層は、法人客が9割である。私のように個人で買うのは1割で、酔狂者である。法人は稼いだ利益を圧縮して税金を少なくしたいので、敢えて高いレクサスを買う。税金で持って行かれるより、高い経費のレクサスを買った方がよいのだ。

 レクサス店の内装にも、接客にもお金がかかっている。イベントにもお金がかかる。その費用は車に上乗せされる。だからレクサスは異常に高い。此の世で只のものはない。資本主義社会の原則である。それを忘れると、私みたいに痛い目に会う。

 

夢から覚めて

 2年間の天国と地獄を見て、目が覚め、レクサスを手放す決断をした。2年間、3千キロほど乗って、買い取ってもらえた金額は購入金額の半値以下である。最後に地獄を再確認した。良き勉強になった。

 レクサス洗脳病から解脱して、レクサスとは、こういうものかと納得した。乗るまでは憧れの車であったが、買ってみて、乗ってみると、「ああこういうもの」とその病気から目覚める。洗脳と同じである。何事も体験してみないと分からない。それが智慧である。後悔はしていない。良き経験であった。

 お金が有り余っていれば、レクサスを買ってもよいが、そうでないと買うべき車ではない。それが結論である。長い一生で浮気と同じである。

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2021-03-26   久志能幾研究所通信 1962 小田泰仙

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