智慧とはご縁の芸術作品

 智慧=【知識】×【熱意】+【経験】

  経験は感受性の強弱により、大の経験にも小の経験にもなる。

        松下幸之助翁の言葉

 

 熱意がなければ、何事も成し遂げられない。熱意がなければ、二階には上がれない。熱意のすべては己の心が決める。経験も心がその気になって足が動き、経験を積む行動になるから、知恵を得る経験となる。

 私は人生の事象は芸術だと思う。その事象には正邪はない。それをどう解釈するかである。

 There is no fact, only interpretation.

 事実はない、あるのは解釈だけ。 ニーチェ

 

ご縁の解釈

 例えば、自分が癌になった。天災に巻き込まれた。交通事故に遭遇した。それをご縁の出会いとして捉え、感謝するか、学びとするか、災難として捉えるかで、その後の人生が変わる。

 事件が起きてそれが美しい事象と感じるか、醜態な事象と感じるかは人の芸術に対する感受性の差である。だから(人生の)経営者は、美術、音楽等で芸術の感性を磨くべきだ。だから私は、その感性を磨くため美術品の鑑賞を続けている。私は、世界の80の美術館・博物館を回った。すべては学びのためである。

 昔の経営には美学があった。今は拝金主義が満開で、腐敗の匂いが漂う。とても経営の美学とは言えない。

 

名画とは

 残念ながら、私が回った美術館群の中に名画はなかった。私の名画の定義は、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる絵」である。名画と言われる絵は、その美術館では映えるが、日本の狭い日本和室では、絵の持ち味が死んでしまう。だから世界の美術館の中に、(幸いにも?)盗みたくなる絵はなかった。あれば私は犯罪者になっていたかもしれない(?)。

 100号近くの大きな、ゴテゴテした油絵を日本の小さな和室に飾るわけにはいくまい。ルーブル美術館にあるナポレオンの戴冠式の絵を盗んでも、自宅には大きすぎて入らない。もしそれが入ったとしても、自宅が貧民窟の部屋のように見えるだろう。ムンクの「叫び」を自宅に飾り、毎日眺めていたら、悲しみで死んでしまいそうになる。

Img_5732s  馬場恵峰書   

東日本大震災の直後、2011年4月2日、先生宅を訪問した折、お土産で頂いた。

2020-03-28 久志能幾研究所通信 1516 小田泰仙

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