2011年4月6日に第50回京都佛像彫刻展に出かけたら、偶然、松本明慶先生にお会いでき、展示されている佛像を説明して頂いた。そこには若い佛師の作品が展示されていて、中には松本工房から独立して、佛像を作っている佛師の作品も展示されていた。素人目から見て、松本工房の佛師の作品に比べて、出来が落ちるのがわかる。明慶先生によると、独立したくらいだから腕はいいのだが、独立当時から作品のレベルが変わっていないという。つまり時間が止まっている。
それから毎年、この京都佛像彫刻展に通って各人の成長ぶりを観察している。2019年4月7日、第58回京都佛像彫刻展を訪れた時、その仏師の作品を見て、愕然とした。今回は前よりも格段にレベルが落ちている。素人目にもわかるほどである。
これは、自分の世界に閉じこもってしまい、松本工房で大勢の仲間との切磋琢磨する機会がなくなったので、成長が出来ないのが原因である。
剣道の世界でも、ド田舎で一番の名門の道場師範は、江戸のどこにでもいる町の師範に負けるという。田舎の剣の道場主は、他流試合をする機会が少なく、井の蛙になっているためである。
自分の世界と比較して、身につまされるお話である。人は、批判、指導により人間として成長し、その作品の出来に影響するのだと。仕事での作品がその人自身を冷酷に表す。
師の存在
その点で、師はだれにも代えがたい有難い存在である。師は忌憚のない批評をしてくれる。師だから、己の全てを理解してくれる。師の諫言なら、素直にその声を聴くことが出来る。師と仰げる人を持つ幸せを感じたい。
成佛
菩薩とは如来になるべく修行中の佛様をいう。菩薩様は修行をしながら衆生を救う佛様として拝まれている。一人では成佛できない。回りの仲間がいてこそ、自分が成佛する修行ができるのだ。批判してくれる仲間に手を合わせて感謝しよう。
松本明慶先生と 2011年4月6日
第50回京都佛像彫刻展(京都伝統産業ふれあい館)
後ろは千手観音菩薩(松本明慶先生作) 京都市長賞受賞(お寺に納仏予定作品)
2019-04-10 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。