人生の結論は死である。そこから始めて何を残すか、何をやるかを考えるのが人生設計であり、そこから死計の智慧が生まれる。若い頃は頭で薄々分かっていても実感の無かった死という結論が、あちこちと体に不調を抱える歳になり、お墓作りを通しておぼろげながら見えてきた。
人生の四計(生計、活計、老計、死計)を考えない人は、スリラー小説みたいな人生を無為に送り、上り坂、下り坂、マサカの場面に遭遇して転落する。本を読んだり、スリラー小説、演劇を見るときは、初めから終わりへと頁をめくり、観劇をする。そのストーリーのクライマックスで、どんでん返しを見せられて狼狽する。そうならないように、死計を考えて生きていきたい。
クライテリア(CRITERIA)とは基本方針である。1994年のミシガン大学テクニカルライティング受講時、出会ったキーワードであり、一番感銘を受けた言葉である。先ず方針ありきで、その基本方針・考えがないと書類作成も仕事でも何事も進まない。会社経営では、終わりの目標から始めて、そこに到達するために、衆知を集めて取り組む。人生経営で、自分はどんなクライテリアの基づき生きてきたのか。残された時間をどのように使うのか。
米国ビジネス社会では「読みにくく、内容不明瞭な文書を、受取手(上司、同僚)が読まなくてもなんら責任がない」とのスチーブンソン教授の見解は、論理構成の重要性を再認識させられた。読んでもらうために、真剣に書類の「クライテリア」を明確にして「デザイン」をしなくてはならない。
文書デザインは、ビジネス社会で情報を伝えるツールとしての書類に、命を与える。書類を「設計」するには、その基本概念の明確化と書類の戦略と戦術が要求される。それは製品を作るためプロセスと同じである。
人生デザインは、何のために生きるかというクライテリアを盛り込んだ人生設計図である。それなくして死計もありえない。一番素晴らしい人生とは、死に臨んで死計として従容として死に就くことである。よく働いた日が安らかな眠りを誘うように、計画を完遂した人生は安らかな死を賜う。それはやるべきことをやり遂げた人への佛様からのご褒美である。いつ死んでもよいように、今を一生懸命に生き、仕事をして、使命を果たす。一念とは「今」の迷う「心」を一つにして、背中に我慢を背負い、右手にソロバンと左手に海図(理念・経典)を持って、明日は分からない命を抱えて生きることである。そのためには、命の運搬手段としての体に悪い影響を与える事象を遠ざけるのが死計である。
余生とは、生きながらえている状態である。人生設計図に余生などはない。最期まで現役であれば、余生は不要である。この歳まで無事に「歳を頂いた」のだから、ご先祖とこの世にお返しをしなければなるまい。
馬場恵峰書 『恵峰人生書画詩文旅日記』 日中文化資料館蔵
上図は『報恩道書写凝集』(久志能幾研究所)に収録
『佛が振るチェッカーフラグ』p68より
2019-02-12 久志能幾研究所 小田泰仙
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