縁は偶然、別れは必然

 この世は一期一会、偶然手に入った自分の若さも、いつかは別れなければならぬ。永遠の師も、恋人も、友人でもいつかは別れが訪れる。 

 縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ。しかしそれはこの世の一時のこと。その花もいつかは散る。得た実もいつかは無くなる時が来る。散ることを知って、一期一会を全うしたいと思う。今日の己は、昨日の己にあらず。明日の己は、今日とは別の己である。 

 縁にも生老病死がある。いくら自分が成長しても相手が成長しなければ、その人とのご縁は老病死である。いくら仲が良くても、共に同じような成長は難しい。己と成長のペースが同じでない人との付き合いは苦痛となる。それで自然な別れが生じる。それもご縁である。

 5年ほど前に、友のたった一言の使い方が原因で、40年来の友と別れたことがあった。今にして思うと、私は友の成長のなさが我慢できなかったようだ。友人であっても同じように成長し、同じ価値観を共有しないと、友人として成立しない。縁は偶然だが、別れは必然であることを実感している。同じようなことを渡部昇一先生が『95歳』という著書で書いてみえる。

 

 縁は偶然の産物。その縁を掴むか、育てるかは、その人の縁力である。縁力を高めるお心肥をケチる人に、良きご縁は回ってこない。人格の低い人、仏縁の薄い人には縁の育成は難しい。

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  馬場恵峰書『源氏物語より(1)』「桐壺」

 

「限りとて別るる道の悲しきに、いかまほしきは命なりけり」(『源氏物語』)

 どんなご縁にも、どんなに愛しい恋人ともいつかは別れが来る。そのとき「いかまほしきは命なりけり」と望んでも運命は残酷である。だからこそ頂いた命と命の出会いは一期一会、ご縁を大切にすべし。この世で出会う相手は、人生の恋人なのだ。

 

2019-02-12   久志能幾研究所 小田泰仙

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