終活に目覚める

 昨年の漢字は「災」であった。最近の災害、不慮の事故、病気の増加を見て、いつ何時、事故に逢うやも、病気になるやもしれずと目覚めて、終活の準備を始めた。

 脳梗塞、心筋梗塞、交通事故、飛行機事故に遭遇すれば、即死状態で、何も準備ができない。私も後20年もすれば、ヨイヨイになって、その準備に頭も回らなければ、体も動かず、電車にも乗れないかもしれない。その時、お金も底をついているかもしれない。

 昨年末に河村義子先生の逝去という縁に出会い、それを「今、終活をやっておくべき」との佛様からの啓示を解釈した。これも危機管理である。

 死亡通知が銀行に回ると、その人の預金は封鎖である。親族でも、遺産相続人全てのハンコがないと、私の葬儀費用でも一円も下ろせない状況に陥る。だから生前の準備が重要なのだ。どうせ一生の間に、必ず必要となる費用である。それなら前払いが良い。

 

葬儀費用を前払い

 思いたった日が吉日である。2015年に自家のお墓は改健したので、今回は、お葬式の準備と死後50年分の法要の準備を始めた。2019年2月4日(立春・大安)、お寺さんにお話しをして、葬式費用と死後50年間分の法要費用を支払った。戒名分を含め、お寺さんへの心付けを追加して総額百万円である。他人に頼めば、心付けもままならぬ。これで38年後(?)までの間に、いつでも安心(?)して死ねる。それが何時かは分からないのが、幸いである。朝、目が覚めたら、まだ人生でやる気ことが残っているとの佛様のお告げである。後38年間を生きるつもりで、頑張りたい。煩悩を超越した108歳まで生きるのが目標である。

 

お墓の護持会費の前払い

 それとお墓の護持会費の前払いをした。前払いと言っても、遺産の一部を物納する契約書を作成しただけである。きちんと司法書士事務所で契約した。

 お墓の土地は、お寺から借りているだけで、買ったわけではない。お墓の護持会費が数年間滞たり、所有者の存在が確定できなくなると、お寺は官報にその旨を公示して、申し出がないと1年後にお墓を撤去できる。それはお墓に関する民法で定められている。

 私の菩提寺は約200家の檀家があるが、約80家が連絡不能で、そのお墓が朽ちたままになっている。多くの家が、東京に出ていき、お墓が放置されたままになっている。お寺さんは、無縁になり朽ちたお墓の撤去費用を負担せねばならぬ。80家もそれがあると、費用が膨大である。それは残った檀家が均等に負担せねばならぬ。そんなご先祖のお墓を放置して東京に行ったままの家は、不謹慎である。罰が当たりますぞ。墓石は簡単に廃棄をできない。お寺で御精魂を抜く法要をして、大阪のある業者に委託する。その業者は近畿地方で1社だけだとか。お寺の損益分岐点は、檀家が200軒である。お寺離れのこの時代、お寺経営も大変である。

 

受戒会

 戒名を受けるため、この4月に「受戒会」として、法要をすることになった。一般的に、お葬式の時、戒名を授かるが、それはあくまで、応急処置である。本来、生前中に「受戒会」を執り行い、戒名を導師から授かるのが正式である。

 受戒会は己の戒名を知って、己の生き方の戒めとして戒名を授かるのだ。その戒名で、来世を佛行に励む。「戒」とは、己が生きていく上での「いましめ」である。それを背負って、戒律を守り、受戒会の後、今世と来世を生きる。それが戒名である。院号は、導師が己のために来世に建ててくれるお寺の名前である。

 

戒名

 亡くなられてから、応急処置として戒名を付けると、お寺さんも、本人の人となりが分からず、親族に生前の生活ぶりを聞いて応急的に名前を付ける。しかし生前に戒名を授与されると、お寺さんも、本人と話をして、その人に相応しい戒名を授けることができる。本人も候補の戒名から選択することもできる。100年後でも、その戒名を見れば、その人の人柄が思い浮かぶのが良い戒名である。その点で河村義子先生の「聖観院教音義愛大姉」は素晴らしい戒名である。

 

危機管理

 何事も、準備だけをしておけば、その時に慌てずに済むし、やるべきことの80%はやらなくて済む。後の20%をその時に対応すればよいのだ。全ては無理である。それが人生を生きる知恵だと思う。私はそうやって生きてきた。

 危機状態の時、敵味方の明徳が明らかになる。危機の時は己が戦争に巻き込まれたときである。個人にとって戦争とは、己が大変な目に逢った時だ。その時、助けてくれない人は敵なのだ。少なくとも味方ではないことが明らかになったのだ。今後、その人と付き合って得るべきものはない。その人の行動が、その人の人生経営の収支報告書なのだ。そこでその相手の徳のレベルが明らかになる。

 

2019-02-07  久志能幾研究所 小田泰仙

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