2021年10月29日、長野市の東急百貨店で開催されている「大仏師松本明慶仏像彫刻展」に行った。その足で、長野美術館を見学した。本来、善光寺に行く予定が、新型コロナ騒動で、7年ぶりの秘仏の御開帳が来年に延期になったので、参拝は来年に変更して、長野美術館に行った次第である。
長野美術館は近代的なデザインの建屋である。3つの建屋からなり、本館と企画展部と東山魁夷館からなる。東山魁夷館とは本館から、透明なガラスの回廊でつながれていて、わくわくするような雰囲気が漂う。
ただし中身は期待外れであった。
東山魁夷館
初期から晩年までの歴史記念的な作品が多く展示されているが、私が名画と定義できる作品は無かった。所蔵している絵画で、今回の企画展(東山魁夷館コレクション展 第Ⅳ期)では、あまり見るべき絵は少なかった。このコレクションは、東山魁夷が54歳から69歳までの作品だが、欧州のスケッチ絵が多くて、中途半端な絵(私の感想)が多かった。
私が名画と定義できるのは、「捕まってもいいから、盗んで家に飾りたくなる作品」である。残念ながら、この東山魁夷館では、それが無かった。お陰で逮捕されずに帰宅した。
常設展の会場
常設展の会場では、畳数枚分もの大きな作品が多く展示されているが、常識的に「美術作品とは何か、その付加価値は何か」を考えてしまった。大きな作品は、美術館ではなんとか展示できるが、その多くが見入ってしまい、家に持ち帰りたいと思う作品は皆無である。自分がウサギ小屋の小さな家に住んでいることが原因ではある。絵があまりに大きすぎて、作品の価値が見いだせないからだ。
今まで、大きな絵で感動した絵は、ルーブルの「ナポレオンの戴冠式」、オランダ美術館のレンブラントの「夜警団」の絵ぐらいである。それでも、感動はしたが、それを盗んで家で飾りたくなる気持ちにはならなかった。そんな絵を自宅に飾ったら、家が雰囲気的に死んでしまう。
画家も展覧会に出品するには、大きな絵を出さねばならぬ。その絵が、美術館に買って貰えればよいが、そうでないとその絵の保管が大変なのだ。その保管のため、マンション一室を借りている画家も多い。画家も大変なのだ。
名画無し?
常設展では、美術の教科書によく掲載されている作品が多く展示されてる。教科書に載る典型的な歴史的な作品が多いから、美術の勉強にはなる。しかし「盗みたくなるような魅力ある作品」は少ない。やはり美術館が買い入れる無難な作品である。
今回は、山路先生とご一緒したから、山路先生から作品の解説を聞きながらの鑑賞となり、贅沢な訪問となった。山路先生は、元高校の美術の先生であった。定年退職後の今でも現役の芸術家である。
経営とは
芸術は人生を豊かにしてくれる。人生を経営するとは、芸術活動である。どこにもない芸術作品を創り、世に貢献しよう。経営とは、今、自分が持てる資源を最大限に活用して、世のために付加価値を創造することだ。自分の才能の発掘こそ経営の基本である。
長野県立美術館 正面の外観
東山魁夷館への通路
東山魁夷館への通路の外の風景
長野県立美術館での課外授業(小学生の見学)
長野県立美術館のすぐ隣が善光寺
2021-11-03 久志能幾研究所通信 2197 小田泰仙
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