家を愛しみ、家の柱に釘一本打たず

 

 私は今までに12回引っ越しをした。累計で10の家に住んだ。その間、故郷の生まれた家、育った家、大垣の父の勤めた会社の社宅、新築の社宅、父が新築した実家、寮、アパート、賃貸マンションに住んできた。

 しかし私は今だかって住んだ家で、釘一本打ったことがない。釘を打てば、家が痛かろう、悲しむだろうと思うからだ。家だって精霊が籠っていると思うからだ。家の身になって考えよう。家は人生で自分を支えてくれるかけがいのない存在なのだ。人生で自分を包み込んで守ってくれる存在なのだ。

 

 私は釘やフックやピクチャーレール等を壁に付ける場合は、プロの大工さんに作業をしてもらって、自分ではしないようにしている。

 あえて自分でする場合は、万力やクランプ等で板を柱に固定して、それに備品をねじ止めして、直接、家の柱にねじ止めしないようにしている。

 

 私は母の躾で、歩く時は畳の縁や敷居を踏まないようにしている。後年、それは茶道の作法であることを知った。母は若いころ、花道の師範であった。

 今、来客があり、その人が家の中を歩く時を観察すれば、敷居を踏むか踏まないかで、その人の育ちが分かる。

 

自分の体に釘を打つ

 大病を経験して気が付いたことは、家が自分の人生を温かく支えてくれる存在であるように、自分の体こそが、自分の人生を全力で支えてくれている存在なのだ、である。

 今にして思うのは、その大事な体に幾度となく釘を打っていたのではないかと反省している。たとえば、酒を飲めば、肝臓の細胞がアルコールの分解をするため、細胞が自分の身を殺して無毒化する。肝臓の細胞が、分裂・再生を繰り返して、アルコールを無害の物質に分解する。食物は胃で消化だが、アルコールは肝臓で毒物と同じ分解工程を踏まないと体外に出て行かない。それで肝臓の細胞は痛んでくる。それを繰り返すと、細胞の分裂限界数を超え、肝硬変や癌に変化する。肝臓病になるのは、要は肝臓に「釘」を打ち続けたためだ。

 同じように、美味しいものには「毒」があり、それを食べれば、自分の体を痛めつけている。スィーツの糖は、血管内部の細胞を傷つける。それが糖尿病や認知症を起こす。脂ののった美味しいお魚は、その脂分が血管内部に付着して、血流を妨げる。そのため白血球等の免疫酵素の流れも悪くなり、病気の遠因となる。

 要は毒を食べ続けると、体の毒素分解能力が限界値を超えて、病気(癌、糖尿病、認知症)になるのだ。

 自分の体を愛しもう。「ご自愛を」とは自分に言うべき言葉である。

 観音菩薩様の目は慈しみの目で衆生を見守っている。自分が観音菩薩となって、自分を見守ろう。自分こそが佛様だ。菩薩とは仏道を修行する仏様である。

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

2021-10-28  久志能幾研究所通信 2193   小田泰仙

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