百回忌、血の気が失せ、墨汁を輸血

 

 祖父の百回忌法要(2021年10月12日)で、お墓前に行って、私の戒名を彫ってある墓誌を見て、驚いた。2年前に、墓誌に私の戒名を刻んで、朱を入れた。生前に墓誌に戒名を刻む場合は、まだ生きて血が巡っている意味で、朱の色を付ける。その朱がほとんど剥離していたためだ。それでは死んだ人の意味になってしまう。慌てて、「輸血」として再塗装を石屋さんにお願いした。

 

赤ペンキは不可

 この場合は、耐久性のある赤ペンキではダメである。ペンキでは、いざという場合(死亡時)に、その赤塗料が簡単に取れないので、朱の墨汁で色を付ける。だだしその耐用年数は少ない。色が落ちる度ごとに塗るしかない。今回はコロナ禍と私の病気のため墓参りが長期間出来ず、時間が経ってしまったための事態である。

 その耐用年数が分かっただけ、一つの知見である。生あるものは必ず死である。生ある「朱の戒名」の色付けも、何時かは薄くなる(死)である。再生が必要だ。諸行無常である。

 

戒名を授戒

 葬式の時に戒名を授かるのは、死亡後の応急処置である。やはり生前に、きちんと来世の名前を授かるのが正式手順である。皆さんも生前に戒名をいただくことを勧めます。それこそが終活の大事な一項目である。その他の終活の事務は、残った人がやってくれる。一番大事な戒名は、自分の意志で決めよう。

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 墓誌に刻んで朱を入れた私の戒名。「泰観院」は私の院号である。

 書は馬場恵峰先生の揮毫

 うっすらと一部に朱が残っている。

 

2021-10-15  久志能幾旧研究所通信 2180   小田泰仙

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