枯木ほどよく燃える
年老いても、己にふさわしく燃えて人生をくらしたいもの。
人は燃えずに、ただうかうかと暮らしていたら、火のつかない木炭のようなもの。炭は火をつけないで、そこいらにころがしておると、手を汚し、着物を汚し、物を汚しぱなしで迷惑をかけてしまう。ダラダラ暮らしの人間にしてもしかり。
炭を火鉢にでも入れ火をつけるとアカアカと燃えて人の手を、部屋を温めて人の心まで豊かにしてくれる。人間もしかり。自分の仕事に、奉仕に燃えてこそ、大いに人のお役に立つことが出来る。
人間とは、人の間と書く。人と人の間にあって生きること、人のお役に立って行く事こそ、人間の人間たるゆえんです。老いも若きもこのような生き方をしたい。(一休禅師の御教えより)
「手にとりて 浮世の世話をする墨は うすかれくろとなりにけりと」
令和二年仲春「志の心得として」93翁恵峰書
上記は馬場恵峰先生宅で見つけた軸より(2020年3月14日 撮影)
生きる意味
生きてやること(仕事、作業、様々な行為、奉仕活動)が、誰かのためにならないなら、その行為は、無為な利己行動で、犬畜生の行動と同じである。人はその行動を、誰かに喜んでもらって、人間として生き甲斐を感じるものだ。
最近、スマホの画面にDocomoから超愚劣なマガジン記事が飛来した。「暇つぶしに最適のゲーム」の宣伝メールである。時間は命なのだ。それを暇つぶしで使うとは殺人行為である。映画監督の大林亘彦氏のように、がんで余命3ヶ月を宣告された人(当時)が、これを見れば、「その時間(命)を俺にくれ。その時間を俺は映画作りに使う」と怒鳴っただろう。私もがんを患い、余命宣告を受けた。だから同じ言葉を吐きたい。この物言に、ドコモと言う会社の拝金利己主義、企業人の人間としての劣化を見て悲しくなった。
あおり運転殺人
最近、あおり運転常習者の狂人が、己を追い抜いたバイクを追いかけまわし、追突激突して、バイクの運転手を撥ね殺した。それで相手を撥ね飛した直後、「これでオシマイ」と言った記録がドラレコに残されていた。ゲームのやり過ぎで、人を殺しても、リセットボタンを押せばそれで済むと考えるように洗脳されたのだ。この殺人者にとって運転はスマホゲームと同じなのだ。狂人で、精神病である。
ゲーム殺人事件
最近、スマホ脳の弊害が話題になっている。スマホゲームは日本人や世界の若者を廃人にする洗脳道具である。電車内では若者の多くがスマホにかじりついている。その大半がゲームをしている。スマホゲームからは何の付加価値も生まない。それどこか、それは時間を無駄にし、脳を破壊し、人を廃人にする兵器である。ゲーム会社のみが儲かる。これでは世相が狂うのも当然である。なぜそれを規制する法律がないのか。法律で規制すべきである。その害は、タバコ、アルコールより悪質である。
2021-08-18 久志能幾研究所通信 2123 小田泰仙
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