四季の自然のうつろいの中様々に学び気付く事多し。ふと見ればはきだめに南瓜の芽がいくつも出て、せい高あわだち草が菜の花畑のように泥沼からは蓮の花が咲き、可憐さ華麗言葉を失う。それらの自然の存在に気付く時、自然はこの事以外においても野菜果実等々物を造り育てる名人で、その物を最大限に活かすのが人間である。人間皆それぞれすばらしい種子あり。明日、否、今どんな何とした花が咲くか貴重な宝を人間持っている。
何事も縁を活かし、勇気出して新しい自分の道を進もう。「そのうちそのうちって・・・・」「いや今のうち、今でしょう」そのうちと言いわけは言い訳に結ばぬ。人生チャンスは二度なしの受けとめ、今そこからです。耳で見て、目で聞く、心眼を開いて行きましょう。智学び仁もって人の道守り勇気出して、大切なあなたの人生、私の生涯明日を念じ今大切にと有縁を活かす。
偶然の出会いに不思議なつながりを覚え深いかかわりのあることを知ることが縁を知ることなのである。縁を知らない者に花の咲きようがない。
縁を恩として受け止める時、実が稔る。いい縁ばかりが存在するものでもない。善悪有縁の歩みは何事も自らの心身の中にあり。結果いずれも因果は自身の自然のはからい也。
自分を深く知り、自ら襟を正しく生きよう。一歩また一日人間誰でもいつかは親になり人生を歩み行かねばならぬ。両親の家庭での躾とそれぞれの先生の教えをしっかりと身につけて身につけて身をつつしみ、勉強に力を入れるのが子供としての義務である。
馬場恵峰書『百m巻物』より
馬場恵峰書『百m巻物』 日中文化資料館蔵 2014年4月17日撮影
ご縁との遭遇
恵峰先生との出会いは偶然である。恵峰師との出会いの縁、恵峰先生の言葉との出会いの縁、百メートル巻物とのご縁、それを撮影できるご縁に不思議なつながりを覚える。この百メートル巻物とのご縁も、中部地区から長崎まで行かないと手に入らなかった。当初は、長崎まで800キロの旅は飛行機を一月前に予約しての大仕事であった。それがいつしか月に一度の九州行きになってしまった。縁ありて実を結んだのだ。
2021-07-17 久志能幾研究所通信 2092 小田泰仙
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