ご縁のリストラクチャリング

 

悪手の山     

 米長邦夫元名人は、その著書で、「人は悪手の中を歩いている、一手間違えれば簡単に人生が暗転する」という。同じ意味で、人生には多くの縁が溢れているが、その多くが悪縁である。因果応報で、悪縁と交われば人生は下り坂である。悪縁の人は、悪縁を招く習慣と考え方とそれに纏わりつく人脈がある。その腐臭がすさまじいが、鈍感な人はそれに気が付かない。知らずに付き合うと、悪縁が心に染み込む。「君子危うきに近寄らず」でありたいが、宮仕え生活ではそれもままならない。サラリーマン時代はその回避が至難の業であり、かなりの被害を受けてきた。まるでタバコ副煙流の害毒如きである。

 しかし定年後に組織を離れたことで、寄ってくる縁を選別できるようになった。些細なことや対応ぶりから、友人、知人、業者の人生哲学が垣間見えて、縁の鑑定ができる。それが悪性の縁と分かった時点で、その縁を切ることにした。よき人生は良きご縁から始まる。悪縁を切ると、空いた空間に良きご縁がすり寄ってくる。組織を離れたら、縁は自分で選びたい。

 

人生のリストラ

 リストラとは、事業の再構築(restructuring)が本来の意味で、首切りは単なる一方法論である。還暦後の第二の人生を門出して、正しい道を歩むために、人生再構築のリストラが必要である。

 企業経営でも、不正をする人、業績を下げる人、定年になった人はお払い箱である。そういう新陳代謝をしないと会社が左前になってしまう。同じ考えで、自分株式会社に害をなす縁者はお払い箱にして、リストラをしないと自分の人生が傾いてしまう。切るべき縁を切らないから腐れ縁となる。腐った縁は、周りに害を及ぼす。人生経営の6Sをして縁の整理整頓をすべきである。

 

食のリストラ

 生きていく為には食べなければならぬ。その食料が、添加物まみれ、農薬まみれ、養殖魚の病気防止で抗生物質まみれ、ショートニング、マーガリン、植物油まみれの加工食品でもお腹は膨れるし、当面は生存が可能である。しかしその食物は遅延性の毒である。10年、20年のスパンで食の人生を考えた場合、そのツケを慢性病、成人病、ガンという病気という形で支払う日がやってくる。日本をはじめ先進国で加工食品が増えるに比例して、医療費が増大している。

 

ご縁のリストラ

 社会で生きていく上では、ご縁が必要だ。しかし質の悪い縁に囲まれると、それが遅延性の毒として人生を覆い、不運という人生生活病に侵される。

 約束を守らない人、こちらが散々お世話をしたのに、恩を仇で返す輩、信心深くても己だけの幸せを願う人、苦情対応で不誠実な企業、新興宗教にはまっている人、車検を依頼した車を私用で乗り回す修理工場社長(ドライブレコーダで露見)、人の迷惑を顧みず自慢話ばかりする元副社長、前職の不祥事の責任を回避する後任の長、先祖を大事にしない親類縁者……….よくこれだけいい加減な人がいるものかと呆れるばかり。そういう人と付き合うと血圧が上がるので、自分の組織を守るため、その悪縁を切ることにしている。

 

人生のご縁収支決算

 人生とは、集めた¥高を誇る競争ではない。円を集めた額を誇示するのではなく、ご縁に接し、その縁に報い、よき縁を人にどれだけ分福したかに価値がある。人生は集めたものでなく、どれだけ与えたかで評価される。

 いくら集めてもそれを喜ぶのは己だけでは哀しい。お金は、あの世には持っていけない。人から分捕った分、不幸になった人がいる。グローバル経済主義では、99人の富をたった1人が強奪独占する。強奪した富には多くの人の怨恨が籠っている。

 

与えるご縁

 人に与えたことは多くの人が評価してくれ、その結果として与えたご縁に花が咲き、実が結ぶ。それでこそ、自分の人生の意味がある。悪しき縁からは、良き人生は生まれない。その縁の選別眼が人生価値を左右する。

 

ご縁の生老病死

 どんなよきご縁も、歳月という名のリストラが襲ってくる。歳月はご縁を待ってはくれない。どんなご縁も偶然から生まれ、生まれたご縁も、その死は必然である。だからこそ大事に育てて、ご縁を見送りたい。後悔のない見送りをするため、尽くして尽くせば、悔いはない。

Img_44131s  馬場恵峰書

2021-05-11 久志能幾研究所通信 2016 小田泰仙

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