臭いものにはワケがある。「胡散臭い」とは、よく言ったものである。これこそ先人の智慧である。常識として異臭を感じれば、その対象を避けるのが動物としての人間の危機管理である。賞味期限も関係ない。見ればわかる。嗅げば分かる。付き合えばわかる。喰えばわかる。喰えん人間とは付き合うべからず。
仁義礼智信
人の基本は「仁義礼智信」である。頭が良いとか悪いとかは関係ない。当たり前を当たり前に自然にこなす。その過程で、人には守るべき一線がある。それに超えれば、アウトである。
私は、一度でも裏切られたら、その人とは疎遠にする。それが危機管理である。一度あることは2度、3度と続く。だから自分でも人を裏切らないように細心の注意を払っている。
かの家庭騒動から伝わってくる悪い情報は一件だけでも、破談になるレベルである。どうも状況証拠から見て、かの皇女は洗脳されたようだ。洗脳から発生する匂いは、カネが腐る匂いである。皇族は下賤な金のトラブルに関わってはならない。それだけで腐臭である。
カンとは
情報とは、「情」けの「報」せである。人に「報」せるにも、やり方の「道」がある。それなのに、トラブル解決のために発表された28頁の裁判用書類のような一方的な糾弾書、自己弁護書では、「報道」という「道」から外れている。人間性が疑われる。テクニカルライティング的に考察して、修身の観点から見て、危機管理の観点から考えて、人の道の観点から考慮しても、異様な匂いがプンプンである。
カンには、数十年間を生きてきた自分の経験智がバックにある。こりゃダメだと感じたら、エイャ!で決めても、大きな間違いはない。問題がこじれても、家長や責任者がダメと言えば済む話である。
今、世間を騒がしている皇女結婚問題も、簡単に考えれば、上記の話である。
前例を破る
一度裁可を出したら覆すことはないのが皇室の前例という。そういう前例を破ってきて、皇室を変えてきたのは、平成天皇であった。問題が露見すれば、前例を変えて、現天皇が婚約を不裁可とすれば済む話である。官僚の悪いところは、問題が起きないように起きないように小手先で対応することだ。だから問題が余計にこじれてしまう。
習近平の悪例
2009年に来日した習近平が、半年前に申請しなければ拝謁できない前例を、強引に破って平成天皇と拝謁を果たした。「前例を重んじる」から言えば、不敬である。今回は他人の習近平より大事な孫のことである。どしどし前例を破ればよい。
歴史は前例を破って、新しい時代を作ってきた。前例破り、皇女の結婚問題でそれが変われば、大歓迎である。
2021-04-23 久志能幾研究所通信 1998 小田泰仙
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