確信師になろう、出来心ではダメ
ユダヤ人は貧乏のときでも、収入の10%を必ず寄付する。ユダヤ教の教えである。寄付をするとは、「私は富んでいます。皆さんに寄付をするだけの富があるのだ」と自身に言い聞かせることになる。それが確信師(確信犯?)の行動である。
それにより稼ぐことを正当化し、稼いだお金で他者を助けるため、多く稼ぐことが大義名分となる。それ故、富んでいる人間のような行動を取り、富んだ人間になる確率が高くなる。
この教義のためユダヤ人の富裕層の割合は高く、ロスチャイルドや投資家のジョージ・ソロス、映画監督のスティーブン・スピルバーグなど世界的な成功者が数多く存在する。
私は寄付した分を、「生活VA」で生活の中の無駄な部分を見付け、改善してその金を捻出している。寄付分を賞償却すれば、後はその分が毎年、資金として残る。
「生活VA」とは、日々使う項目を見直し、節約することで、1年間での節約金額を出し、それが10年間で積み立てる事である。
寄付は献血と同じ
寄付とはある意味で、献血のようなものだ。献血すると体の血が少なくなり、体の造血作用が活発になり、健康増進に貢献する。私も過去は、健康のために献血を積極的にしていた。しかし高血圧になり降圧剤を服用するようになったので、献血が出来なくなった。
寄付は身上から金が流れるので、その分を稼ごう、節約しようと、却って経済的には好循環の環境になる。出すから入ってくる。貯めこむばかりでは、限界がある。
教義に背く行為
寄付をしないと、「自分は貧乏だ、金が無い」と何回も自分の潜在意識に言い続ける。潜在意識に沁みこんだ考えは、日頃の行動に反映され、貧乏人の行動を取り続ける。その行動が、富裕層になれるご縁から日々離れていく。
(だから是非、オダブツ教にご寄進を。少なくともそれで教祖は幸せになれる。寄付をした方が幸せになるかどうかは、本人の責任?)
豊かな心
自分は豊かであると確信しよう。出来心で寄付するようではダメ。確信犯(?)として寄付をしよう。きっと豊かな心と時間を得ることができる。どうせあの世にはお金をもっていけない。自分で稼いだカネは自分で使おう。それが自己責任である。
稼ぐより使うのが難しい
金を使うには智慧がいる。「金を稼ぎ、貯めるのは簡単だが、使うのが難しい」とは豊田英二トヨタ社長(当時)の言葉。トヨタは稼いだカネを研究開発と設備投資に回した。それで今のトヨタがある。
下手に金を残すと子孫が堕落する。それより自分で使って、お足(金)を世間に回した方がよい。きっとお足が友達を連れて帰ってくる。
今、世間が不景気なのは、金を持っている高齢者が金を使わないからだ。若者は不景気で給与が少なく、金を使えない。高齢者よ、金を使え。
二人以上の世帯の内、高齢者世帯(世帯主が65歳以上の世帯)の1世帯当たりの純資産額は5816万円(平成16年11月末)である。(総務省統計局調べ)
2021-04-21 久志能幾研究所通信 1996 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。