ふた七日
2020年3月15日、馬場三根子先生のふた七日の法要が、馬場恵峰先生宅で行われ、参列をした。参列者は親族以外では、私だけであった。馬場恵峰先生から来て欲しいと言われたので、行かないわけにはいかない。
新コロナウイルスの関係で、混雑する電車に乗るのが怖かったので、グリーン車で往復した。驚いたことに、米原~京都間が行きは一両が私を含めて2名だけ、帰りは私一人で貸し切り状態であった。京都~博多~諫早は、いつもの半分以下の乗客数であった。新コロナウイルスの影響をまじまじと感じた。
密集した車内での感染を避けるための危機管理として、グリーン車の利用は合理的だと思う。とにかく九州まで行かなければならなかったのだ。命には代えられない。
笑顔の三根子先生
いつも笑顔が絶えない馬場三根子先生を思い出し、先生宅に掲示してあった「和顔愛語」の軸を入手して帰宅した。顔施は、仏教での七施の一つである。三根子先生は、いつも笑顔で優しい言葉で皆さんに接していたので、皆さんから惜しまれて89歳の大往生が出来たと思う。ご冥福をお祈りします。
いつもしかめっ面をして、笑顔を見せず、自分を曝け出さず、自己防御している人は、玄関にガイコツと棺桶を飾っているのだと福沢諭吉翁はいう。
顔色や容貌をいきいきと明るく見せることは人間としての基本的なモラルである。なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。広く人と交際して自由に付き合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。
ところが、本心は人と交際を深めたいのに顔色に意を用いず、孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。
福沢諭吉翁
大垣市のガイコツと棺おけ
小川敏は、何時もしかめっ面をして、俺はエライいのだと威張っている風に見える。大垣市の恥である。市長は大垣の顔である。大垣市長の不機嫌そうな渋い顔は、大垣市の玄関にガイコツと棺桶を飾るようなものだ。ガイコツ面で19年間も独裁政治をするから大垣市は没落した。いつも渋面の小川敏が大垣を没落させた。そう顔に書いてある。「小川敏は信用できない」と顔に書いてある。小川敏が大垣の歴史に汚点を残した。金のかからぬ笑顔さえできない小川敏は、ケチで大垣の貧乏神であった。だから大垣が没落した。
令和2年度の公示地価を見ても、他市の公示地価は上昇だが、大垣だけは、また下落で、前年比 マイナス0.55%である。これで小川敏が市長に就任以来、連続で19年間、下落の一途である。地価は市長の行政手腕の通信簿である。市場の評価は神の如く正確である(松下幸之助翁の言葉)。大垣市の価値下落の責任と原因が小川敏の顔にあった。
この顔で19年間も君臨すれば、大垣が没落して当然。
寄付を受け取る小川敏。 岐阜新聞 2020年3月12日
寄付を下々から受け取ってやるのだ、という尊大な顔である。
下々に寄付をさせても、ニコリともしない。
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ソ連の笑顔
ゴルバチョフが1985年にソ連の書記長に就任した時、アメリカ政府には彼の情報がなかった。彼がアメリカと冷戦終結の交渉をするとき、笑顔のゴルバチョフを見て、米国大統領側近の高官が、「あの人なら信用ができる」として、冷戦終結の会議が進展した。ゴルバチョフの笑顔が歴史を変えた。
ガガーリンは、世界初の宇宙飛行士候補の20名からただ一人だけ選抜された。1961年、彼が世界初の宇宙飛行士として地上に降りたとき、その笑顔が、世界中に配信された。その笑顔がソ連の威信を高めることをソ連の宇宙航空局は知っていた。宇宙飛行士は肉体の頑丈さが必要とされ、過酷な訓練が続く。命がけの訓練である。一歩間違えば死である。その中で、ガガーリンはいつも周りの人を和ませる笑顔であった。いつも笑顔であった。
馬場恵峰書
2020-03-19 久志能幾研究所通信 1506 小田泰仙
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