夢があるから理想がある。理想があるから志が生まれる。
志があるから計画が生まれる。計画があるから行動が生まれる。
小さな一歩一歩の行動の積み重ねで夢に近づく。
歩みを止めなければ、何時かは夢の実現に到達する。
夢が叶わないのは、途中で諦めるからだ。
夢がなければ、何も始まらない。
夢を持つか持たないかが、犬猫との差である。
人とは霊止(ヒト)である。霊にはご先祖のDNAが伝わっている。
そのDNAが夢の実現を応援してくれる。
自分はご先祖の代表で今を生きているのだ。
ストーリとは
夢にはストーリが必用だ。ストーリとは、自分が語る夢物語を、己と皆が信じられるようにモチベートすること。
「宗教」も「お金」も「信用」も総てストーリでの架空の存在である。そのストーリを人々が信じるから、それが生まれ、発展して、今の文明社会が生まれた。
例えば「宗教」も、その教祖の話を信ずれば天国に行けると信じて、その宗教に帰依する。王はそれを手段として国家を作った。人がその宗教のストーリを信じたのだ。仏教もキリスト教も同じである。オウム真理教も同じである。どんな宗教も、最初は新興宗教である。自分が教祖となり「自分教」を立ち上げよう。私はオダ仏教の教祖である。
一万円札の「お金」は、単に日本銀行券で単なる紙切れである。日本政府が保証をするというストーリで、お金として使えるにすぎない。
未開人や、犬猫に食べ物の代わりに一万円を与えても、喜ばない。人は「お金」というストーリを信じて、お金が存在する。だからビットコインという仮想通貨も出現してきた。
「信用」もその人のストーリがあって、人から信用してもらえ、1億円の借金でも、それが出来る人と出来ない人とに分かれる。人がスト―リ(夢)を語れるかのレベル差である。「自分信用金庫」の格を上げよう。
願棒、叶針
だから夢は大きく持とう。夢は棒ほど願って、針ほど叶う。だから大きい夢を見よう。
夢を信じて行動できる人は幸せである。それを信じて騙された人でも、一時的に夢を見ることができた。それも幸せである。騙されたのは、自己責任である。騙された人は、人を観る眼が無かったのだ。それで良き人生の勉強ができて良いではないか。それで日本経済の活性になれば、めでたしめでたし。
ご真言
オダ仏教の御真言は「自分の夢のストーリ」である。誇大妄想の夢でも、嘘八百でも、夢の真言を10,000回も自分に語り、人に語り、心で唱えれば、脳細胞が活性化して、いつかそれが真実になる。
ご先祖が与えてくれた己の命、夢を見ない人生ではご先祖に申し訳ない。夢を見ないのでは犬猫である。せめてご先祖を超えることだけでも夢としたい。
その夢が悪いことでなければ、お金は何とかなるものだ。オダ仏教の佛さまがきっと助けてくれる。私は、そう信じてやっている。
夢の世に、夢見し夢は夢ならで、夢見ぬ夢を夢とこそ知れり
2020-02-29 久志能幾研究所通信 1495 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。