人生美学の海外逃亡

 カルロス・ゴーン(軽ロス・御恩)被告が海外逃亡したと世間は騒々しい。それは人生の終末を迎えて、今までの「ご恩を軽んじた」罪に起因する醜態である。それに対して、馬場恵峰先生は海外に逃亡して人生美学を創造した。

 日本習字の創業者は原田観峰師である。馬場恵峰師は、原田観峰師に見込まれ、後継者として3年間に亘り京都の本部で寝食を共にして、厳しく鍛えられた。原田観峰師が、日本書道の全国18,000支部の先生の中から恵峰師の才能を認めて、たった一人だけを選抜した。

 

修行時代

 恵峰師は日本習字京都本部で、週に2回の徹夜、残業手当なし、休日なし、給与6万円、ボーナスなしで3年間を過ごされた。その6万円から2万円が食費として天引きされる。その給与では、旅費が高くて九州にも帰れない。それで3年を過ごし、体調を崩されて九州に戻られた。

 ほぼ同じ時期、私は新入社員としてトヨタ系の企業に入社して、それ以上の給与とボーナスと残業手当で「裕福?」に暮らしていた。先生と比べると少々恥ずかしい。

 

讒言

 ところが恵峰師をねたみ、偏根し根性で、陰口、讒言、あらぬことを観峰師に告げ口する輩が出てきた。曰く、「恵峰は天狗になっている」、「馬場恵峰は、原田観峰師に対抗して新しい書派を立ち上げるつもりだ」とかで、恵峰師が思ってもいないことをでっち上げて、観峰師に告げ口をした。観峰師もそれを真に受けて、恵峰師に激怒したという。

 観峰師は書の才能は素晴らしいが、それ以外の才能(画、文学、宗教学、医学、学歴、漢詩、家庭生活)の全てで、恵峰師に負けていた。原田観峰師の子弟は、誰も後を継がなかった。観峰師の私生活が荒れていたためである。観峰師は恵峰師の才能に対する僻みが根底にあり、恵峰師に関する讒言を信じたようだ。

 

中国へ逃亡

 恵峰師は言い訳をするのも馬鹿らしく、書の本場の中国に活路を求めて、中国に行くようになった。つまり言っても分からない下劣な人間を相手にせず、中国に黙って「海外逃亡した」。以後43年間にわたり、華麗(加齢)なる海外逃亡旅行が続いた。恵峰師は「クレーマー行為」をせず、「女々しく」中国に新天地を求めたのだ。うぬぼれた人間と争うのは時間の無駄である。師は下界の人間を相手にせず、天を相手にしたのだ。人を誹謗するのは、己がうぬぼれているためである。「なんであいつが」である。

 人を誹謗する人間は、自分の徳を地獄の河に投げ入れているのだ。誹謗された方は、それに言い訳もせず、じっと耐えて努力することで、能力と徳を高めていく。誹謗する人間は、努力をしない。人は誹謗されることで、他人様が自分の能力と徳を高めてくれる。だから恵峰師は技が上達して、長生きである。

 

 涙堪えて悲しみに耐える時、

 愚痴を言わず、苦しみに耐える時、

 言いわけしないで、ただ批判に耐える時、

 怒りを抑えて、ただ屈辱に耐える時、

 あなたの命の根は深くなる。

   相田みつを作詞 『にんげんだもの』詩「いのちの根」

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 馬場恵峰書 日中文化資料館蔵

 

仏様のお裁き

 原田観峰師は今の馬場恵峰師よりも、10歳も早い時期の83歳で亡くなられた。そんなに早く死んではならぬ才能なのに、仏様が彼岸に呼び寄せてしまった。それに対して恵峰師は93歳の現在でも現役である。

 馬場恵峰師を非難、誹謗、貶めるために讒言をして回った書家仲間は、現在全員がこの世を去っている。誹謗ばかりした人間は、この世に何も残せなかった。書家仲間は、「恵峰は、偉そうに中国に頻繁に行っている」、「天狗になっている」、「中国にどげんか用ば、あるばってん」と恵峰先生の罵詈雑言ばかりである。

 恵峰師は用があるから中国に行ったのではない。用を作りに行ったのだ。馬場恵峰師はその讒言を糧に、93歳の今も現役で書を書き続けている。仏様が助けてくれた。

 

逃亡の利子

 馬場恵峰師は中国に240回以上も行って、中国の書家と友好を結んだ。金は7000万円ほどつかって消えたが、それがご縁と智慧の宝を生んだ。その利子が健康である。

 

誹謗の負債

 人を誹謗するしか能のない人は、早く死ぬ。人を誹謗することに忙しい。誹謗する暇があれば努力をすればよいのに、その努力をしない。だから仏様が長生きを許さないのだ。それは世のためにならない輩なのだ。だから仏様がお裁きをされる。それは利己心への罰である。

 仏教は利他の心と感謝の念が基本の教えである。要は自己中心主義を止めよである。讒言は、自己中心主義、己の自惚れの発露である。利己心の発揮は、社会のためには反した行いである。仏様が許すはずがない。そんな輩は、早く死ぬのが世のため、人のためである。だから恵峰師を誹謗した人間は、早く死んでいる。「なんであいつが」と鬱積した気持ちで過ごせば病気にもなるだろう。

 恵峰師は、書家仲間のあらぬ誹謗に対して、「なにクソ」と負けじ魂を出して仕事に精進したから、元気をもらった。それが徳である。

 

目指す姿

 馬場恵峰師の生きざまが私の目指す姿である。師の姿を見ていると、おちおち死んでなんかおられない。自分を非難する人を相手にする時間が勿体ない。どうせ人を非難する人間は、世に何も残せず、早く死ぬのだ。

 

2020-01-14 久志能幾研究所通信 1450  小田泰仙

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