アウトプットはスピード最優先 「非事勿主義」

 私のアウトプットは文書である。その出力の付加価値を上げるためには、スピードを最優先として処理している。

 私の文書に誤字脱字が多いと指摘する人がいる。過去の仕事仲間では、そういう人は、仕事の出来ない人が多かった。末梢的な事にこだわり、仕事の本質を後回しにする人である。文書を書いて仕事をしていない人たちである。

 

雑誌原稿のチェック体制の例

 私が前職で技術広報誌の編集業務をしていた時(実質的に編集長)、最終原稿を校正者5人ほどで集まって校正するのだが、それでも誤字脱字が見逃されることが多い。人は活字になるとそれが正しいと思い込んで、そのミスが発見されにくい。ましてやPCの画面上ではミスは発見できない。他人でも発見できないのに、本人ではなおさら発見が難しい。

 またその英文原稿を現地人に校正・添削してもらったが、その校正レベルが酷かった。現地人が英文の正しい英語に精通しているわけではない。英文でも、テクニカルライティング的にしかるべき書き方がある。それが印刷だと正しく見えてしまう。

 特にチェック者がいなくて自分だけで作る資料は、そのミスが多い。私もブログにアップする前に印刷して4,5回は紙でチェックをして修正をするのだが、それでも一人だけのチェックではミスを見逃すことが多い。ミスを無くすことにかかる時間は膨大である。

 それよりも、多少のミスを覚悟して、スピードと量で世に問うほうが、結果として良質な仕事が出来る。完全無欠の文書を作成するために、誤字脱字の校正に時間をかければ、その生産量は半分以下になるだろう。それでは仕事が回らない。

 

私の文書作成方針

 私がこだわるのは、文書の論理構成と文書の伝達意図の明確化、分かりやすい文言、スタイル、構成である。如何に早く理解してもらう文書構成にするかに心血を注ぐ。

 他人が私の文書で、誤字脱字を指摘するからには、その意味は通じているので、それをヨシとしたい。意味が反対に取られなければヨシとしたい。私はカネを貰って文書を書いているわけではない。出版する場合とは別である。多少の誤字脱字は愛嬌であるとしている。人は神ではないのだ。早く情報を伝えるのが最優先である。

 

な言葉よりも正しい論理構成

 往々に誤字脱字のない正確な文書は、竹下登元総理のような言語明瞭・意味不明の文体が多い。「誤字脱字のない文書でも、それで何を言いたいのだ」との文書にそれが顕著である。

 それより多少は言い間違いが多い田中角栄元総理の論法が、愛嬌があり、私は好きだ。それで角栄の言いたいことは理解できる。だから田中角栄総理は竹下登総理より多くの仕事をした。

 仕事でも多少のミスを覚悟して、前に進めた方が、多くの仕事と己の成長が出来る。石橋を叩きすぎて、その石橋を壊してはならない。それはお役人の世界である。

 

正確を期して何もしない役人

 だから役人に支配された日本はデフレ経済から脱却できない。間違えないように、指摘をされないようにと、慎重すぎて、役人は仕事をしないからだ。仕事を変えないからだ。そうやって、大垣の役人が何もせず、大垣を衰退させていく。

 

私の決断

 私が物事を決める場合、スピードを優先して決めている。決めて、間違っていることが分かれば、修正すればよいのだ。経営上の最大のミスは、間違った階段に上ったら、メンツで降りて別の階段に行くことをしないことなのだ。間違いは誰でもする。その間違いは早い方がよい。早い方がその軌道修正が楽だのだ。始めなければ、その間違いも気が付かない。命の時間は有限である。その時間を無為に過ごしてはならない。

 

アイデアが大事

 私はブラインドタッチで、頭に思いついたことを、消えないように早くキー入力することに全神経を使ってる。早くタイプするので、タイプミスも多い。当時、オアシスの親指シフトキーボードを使っていた時は、人の2倍の速度で入力をしていた。今は環境の変化で、しぶしぶローマ字入力だが、それでも超スピードで入力である。

 

スピードが優先

 1980年当時、私はローマ字入力、かな入力、親指シフトキーボード入力を入力速度を上げるために習得した。パソコンが出始めた1980年頃、高速キー入力を習得するため、BASIC言語でタイピングソフトも自作して練習に励んだ。全てはスピードを上げるためである。スピードを上げるとタイプミスも多い。そのミスよりも、浮かんだアイデアを大事の育てることを優先して仕事をしてきた。

 

人物鑑定

 それを文書内の枝葉末節である誤字脱字を自慢げに指摘する輩に出会うと哀れに見える。その人が仕事の出来ない人だと分かるからだ。文書を書いたことのない人だと分かるのだ。仕事の優先順位を考えることができない人なのだ。それも私が人物鑑定をするときのデータである。

 

人生はスピードによって決まる

 私は昔からよくいわれる「石橋を叩いて渡る」ということはやらない。石橋だったら叩かずに渡ってしまう。大丈夫だと思ったら時間をかけない。スピードを重んじる。私はスピードによって人生というものは決められると信じている。

 我々には神様から与えられた一定の人生しかない。それゆえ、与えられ、限られた間に、自分の要求をどれだけ満たすかといことが人生最大目標であるかから、それはスピードが絶対必要である。----本田宗一郎談

                 1995.07.22の書き抜き

 

 石橋を叩かずに渡ることによって被るデメリットよりも、人生をスピードアップすることによって得られるメリットのほうがケタ違いに大きい。

城山三郎・他著『本田宗一郎の「人の心を買う術」』(プレジデント社 1991年)

 

2020-01-24 久志能幾研究所通信 1460  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント(0)