「吾」とは神のお告げの意味と神具で使う器具の象形からなる文字で、「われ」を意味する。吾の「口」とは神のおつげの意味。音符の「五」は、棒を交差させて組み立てる器具の象形である。神のおつげを汚れから守るための器具のさまから、「ふせぐ」の意を表す。そのさまを借りて、「われ」の意味を表す。漢字を創った古代人は、人間には佛性があることを知っていた。
図1 「吾」の象形文字
佛様は己の内に存在
修証義に曰く「佛祖の往昔は吾等なり、吾等が当来は佛祖ならん(釈尊および歴代の祖師のその昔は我々であった。我々の将来は祖師である)」。佛はどこにもいない。己の内に存在すると道元禅師は言う。己の内なる佛の声は聞こえるが、それに耳を塞ぎ、欲に負けて、やってはいけないことを犯し、食べすぎ、飲みすぎ、集めすぎ、貯めすぎの強欲に走る人間の弱さから来る業を、罪という。「足る知る」を理解しながら、それが自制出来ない弱さの鬼性と、神の御告げに耳を傾ける佛性の両方を持つのが人間である。
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権現様とは
己が市長なら、その身は大垣市の「権現」でもある。権現とは、佛菩薩が衆生を救うために仮の姿をとって現れるさまを言う佛語である。市長が佛の代理の権現様として、市民のために口でいくら立派な訓語を垂れても、その後姿に綻びがあると、化けの皮が剝がれる。市民は小川敏の後姿にきつねの尻尾を見る。知らぬは市長ばかりなり。小川敏が、佛様より預かった大事な大垣市を市長権限でめちゃめちゃにした結果、大垣市は衰退した。全ては小川敏の強欲の結果である。市民は騙せても、100歳になった大垣市の氏神様は、その履歴を知っていて、限度を超えると反乱を起こす。それが衰退という現象である。
非常事態から目を背ける市長
己の佛性に目覚めない限り、いくら高いカネを払ってIT化、ロボット化を、行政改革、新市庁舎建設に金を継ぎこんでも、猫に小判である。
小川敏が、日本の最高学府を出たと誇っても、目の前の事態に対処できなければ、無能なのだ。それは40年前に単なる知識を得ただけなのだ。それは陳腐化した。志があり、大垣を良くしたいなら、然るべき行動がとれるはず。市長の小川敏は、目の前の衰退という異常事態になす術が取れず、ギネス水饅頭の共食いの宴に酔い痴れた。大垣市制100執念忌念行事に執着して市民税3億5千万円金を浪費した。日頃の節約の大号令と相反する言動だが、本人は痴呆症なのか、それに気が付かない。
市長の小川敏の後姿から尻尾が見える
2001年、前市長の小倉満氏が現役で亡くなられた。その後を小川敏が市長を引き継いだ。しかしいくら高学歴を誇っても、志がなければ、大垣市の経営はできない。
それから18年が経って、大垣市は没落した。大垣市の経済状態と小川敏の経営能力を的確に表す地価は、18年間連続で下落の一途である。結果として市長就任当時から50.2%も地価が暴落した。大垣市の顔である大垣駅前商店街の81%が閉店した。小川敏があらぬ力を投入したので、大垣市役所の給与は県下一の高さになり、その働きぶりは県下最低となった。その財源を児童生徒の教育費から強奪し、大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低となった。そのあおりで、昨年の猛暑の時、大垣市の小中学校のエアコン設備率は2.1%で、県下最低レベルの現状が露見した。岐阜県の他市は、ほとんど100%のエアコン設備率である。この有様は市民として恥ずかしい。
市長の小川敏は、いくら高尚な行政方針やIT化、ロボット化を唱えても、それは線香花火のような泡沫事業ばかりである。大威張りで始めた「大垣中心市街地活性化計画」は大失敗であった。活性化計画を実施したら、大垣駅前商店街の20%の店がシャッターを下ろした。小川敏はそれに口をつぐむ。
紺屋の白袴
小川敏は、東大法学部を出たのに法律の基礎を知らない。知らないのならまだしも、守らない。行政の長なのに、経営のケの字も知らない。市の経営に経済知識が必用なのに、経済音痴である。知識はあっても、智慧がない。恥を知らない。ギネス水饅頭の共食いで、どれだけ大垣が笑いものになったかを認識できない。組織の長なのに、人の心が読めない。
小川敏が大垣市理念を唱えても、現実の行政政策が愚劣だから、大垣市の経営が出来るはずがない。市民が市長の後姿を見て、「あんたの放漫行政経営のため大垣駅前商店街が崩壊した。それの総責任者のあんたに、そんなことは言われたくない」が本音である。
誰のお陰で大垣市の今日があると思うのか。その小川敏の感謝の念の希薄さが、大垣市衰退の最大原因である。
基礎工事の杜撰さ
小川敏のイケイケドンドンの大垣行政から市長の尻尾が透けて見える。己を支える基盤(体、市職員、市民、社会)への感謝の念が薄く、生かされていることへの認識が薄い。前のめりで高尚な言葉を列挙するが、足元が固まっていないと、土台から崩れてしまうのではと危惧している。事件が起こると基礎工事の手抜きや白蟻に侵されたような惨状が露見する。2017年11月4日のドローン墜落人身事故はその基礎がないため、起きた必然の事故である。
蟻塚
人は山には躓かないが、小さな蟻塚に躓く。佛様は全てを閻魔帳に記載して、大垣市の病気を通して閻魔帳の中間報告をされる。多くの人が佛の御心も知らず、地獄への近道へ足を向ける。人生曼荼羅には全てが描かれている。人生経営での学びである。ご縁の貸借対照表に人生の歩みが表われる。縁の残高が少ない政治屋が人生で躓く。
図3 脚下照顧 馬場恵峰書
2019-11-12 久志能幾研究所 No.1396 小田泰仙
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