今日(2109年11月27日)、九州の馬場恵峰先生宅に、日帰りで仕事の打合せに行ってきた。毎回、早朝から深夜までの往復14時間の鉄路の旅で疲れたが、それをこなせるまでに体力が回復して幸せである。少し前までは、歩くのが辛い状態であった。今日一日の歩行数は、6048歩で、鉄路の旅にしては、駅構内を歩いて、結構な歩数である。最悪の状態は脱したようだ。
この旅で、お宝の言葉(表題)に出会った。犬も歩けば棒に当る。家に閉じこもっていては、ご縁には出会えない。
掃除が命
恵峰先生宅に到着したら、先生は庭の掃除中であった。先生は毎日、朝晩、各30分ずつ庭の掃除をする。だから庭には落ち葉一つ落ちていない。350坪の敷地に日中文化資料館と付属図書館が建ち、その広い庭の掃除である。先生が一日中座って書を書いているわけではない。掃除、整理、整頓をしてお仕事である。そのリズムがあるから、健康で93歳の今でも現役である。
自然は生きている。だから庭には落ち葉もあれば新しい芽生えもある。死の世界では、落ち葉もあるまい。庭も生きている。だから先生は庭の掃除を欠かせない。掃除をしないと、心に雑草が生える。
庭を掃除中の恵峰先生 2019年11月27日
毎日が命がけ
93歳の恵峰先生は、毎日が命がけである。一日一日、生きているのが不思議なのだ。命は一日、一日、尽きていく。
私も年初に癌の手術をして死線を垣間見た身である。生きているとは何事にも代えがたい僥倖なのだ。この「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」は日蓮大聖人の言葉である。これは宗派には関係ない命の言葉である。どの宗教も究極の真理の言葉は皆同じである。
この日蓮大聖人の言葉を揮毫した恵峰先生の書を、年初に撮影する計画であったが、私が病気で倒れたので、延期となっていた。やっと私も病状から回復したので、来月、この書を撮影して出版する予定である。書の撮影も命がけである。
日蓮大聖人の言葉の書 2019年11月27日
お別れの挨拶の旅
恵峰先生は、来月、中国に最後の旅行に行かれる。中国の知人たちに、この世の最後のお別れの挨拶をするために旅行をされるという。先生も体力的に、中国に行けるのも、今回が最後だという。なんでも今の内、生きているうちである。思いたった日にやっておかないと、できなくなる日がやってくる。今日、恵峰先生宅を訪問して、多くのお話をして、多くに収穫があった。感謝である。
「迎客の松」と恵峰先生、後は日中文化資料館 2019年11月27日
2019-11-27 久志能幾研究所通信 No.1409 小田泰仙
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