リストラで生き延びる人、淘汰される人
あなたがある部署の部長と仮定して、「部員30人中、9名の指名解雇者を選出せよ」との業務命令が上からきたら、どういう基準で選出するのか? 答えよ! リストラしないと会社が倒産して、4,000人全員が路頭に迷う事態になる。
これは私の「修身」の講義で、対象が新人・中堅の技術者たちに出した質問である。私はこの回答には言及しなかった。その意図は、現実社会を中堅技術者達に知らしめ、自分がその立場なら、どうしたかを考えてもらい、働く意味、生きる意味を考えてもらうためであった。答えは各人の価値観で変わる。
実例
1960年頃 近江絹糸 経営不振で人員整理
一級ボイラー士の有資格者も解雇され、大の男が泣いた。
彼は、当時の父の仲間。当時私は小学生で、両親が夜、人員整理の話しをしていたことを良く覚えている。
1949年 トヨタ自動車の人員整理・労使紛争
創業者の豊田喜一郎が退任
1954年 当社の人員整理 365人を解雇(全従業員の30%)
「2度とこんな事態は繰り返さない」と社長は固く心に誓った
1993年 パイオニアの指名解雇
1995年 日産の座間工場閉鎖
2001年 松下電器の希望退社募集(実際は指名の肩たたき)
死の強制収容所アウシュビッツからの生還
死亡率 死者
ドイツ強制収容所 79% (ユダヤ人434万人 ガス室で大量殺戮)
シベリア抑留 12% (日本人7万人 極寒の屋外で強制労働)
抑留初期は80%の死亡率
どんな人が生き延びたか? どんな人が死んだか?
貴方が強制収容所の看守なら、どういう基準で囚人をガス室に送る?
強制収容所では、看守も懲罰の対象であった。シベリア強制収容所の看守も懲罰的な意味合いでシベリアに送られ、その看守の役割を負わされている。看守自身も常にその業務成果が監視されているので手抜きはできない。
生きる目的
その中で、看守から死の選別をされずに生き延びた人は、「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)ことが出来た。また未来に目的を持ち、自分の存在価値を認めていた人たちだけが生き延びた。
それに対して、生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなんにもならないと考え、自分の存在価値をなくし、がんばり抜く意味を失った人は、いくら若く頑強な体でも、あっけなく死んでいった。(「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクルより)
「昨日まで元気で働いていた若い頑強な仲間が、朝、隣のベッドで冷たくなっていた。」(シベリア抑留体験者の言葉。私の父もシベリア抑留者)
ガス室に送られないために
ドイツ強制収容所から生還し、その体験を記した『夜と霧』の著者(心理学者)、ヴィクトル・E・フランクルがとった行動が下記である。
◇ 働ける体であるように見せる
働ける状態でなければ、自動的にガス室行き
常に若く見えるように、行動した。
立ったり歩いたりする時は背筋をピッと延ばしていた。
若く見えるように髭を毎日剃った。
最後のパン一切れを人に与えても、ガラスの破片で髭を剃ってもらった。
病気にならない--- 病人になれば、自動的にガス室行き
◇ 常に未来を信じる
近い将来、講演会で自分が演説している姿を思い浮かべた。
◇ 収容所での苦しみは意味があると認識する
無意味だとすると生きることの価値が無くなる
◇ 愛する人との魂での会話を絶やさない
◇ 感動を失わない
沈みゆく太陽の夕焼けの風景に感動
◇ ユーモアを失わない
自分を見失わない魂の武器
リストラの選別対象になる人
「会社が倒産の危機に際した時、リストラの選別対象になるのはどんな人か」を考えて欲しい、との質問を新人にした。
リストラされると今の経済状態では再就職は至難の技である。当時、年間34,000人の自殺者(2004年当時)がいて、増加の一途であった。それを受講生に考えてもらった。
生きるとは
生きるとは、
・生きる義務を引き受ける行為
・生きることへの問いに正しく答える義務
・生きることが各人に課す課題を果たす義務
・時々刻々の要請を充たす義務
生を受けた以上、与えられた命を全うさせる義務がある。そうしないと、生を授けてくたご先祖に申し訳ない。今生きている己は、全てのご先祖の代表である。
苦しむとは、何かをなしとげること
「夜と霧」ヴィクトル・E・フランクル
生きるとは、仕事をすること
会社生活は、人生の一番大事な時(一番エネルギーの高い時、一番充実した時)に、一番多くの時間を費やす舞台である。そこで元気でないと、人生がうまくいかない。会社ではリストラ対象にされる。
2019-06-10 久志能幾研究所通信 小田泰仙
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