ウサギと亀の狂騒曼荼羅

 ウサギと亀の競争の寓話で、地道な努力が必要と教えられてきた。それはそれで正しいのだが、徳人なら別の観点での悟りの見方が必要である。

 修証義に曰く「たとい佛に成るべき功徳熟して円満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成仏得道に回向するなり、或いは無量劫行いて衆生を先に渡して自らは終に仏にならず、但し衆生を渡し衆生を利益するもあり」。

 道元禅師は、人の為に尽くすならば、自分は成仏しなくてもよいとまで言っている。

 亀は歩いている途中でウサギが寝ているのを見て、なぜ起こしてやらなかったのか。たかがある場所までの競争ではないか。一緒にゴールをする発想がなぜとれないか。それは自分だけよければ良いという利己主義(グローバル経済主義)の表れである。

 幼児曰く「なぜ亀はウサギを起こしてやらなかったの。意地悪ね」。童子の純粋な目とは、佛の目である。目先の欲に溺れた大人には考えが及ばない。

 競争相手は佛である。その佛が自分の至らない点を真摯の教えてくれる。ウサギと亀とは、人生の教えを佛が演じる曼荼羅のひとコマである。

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馬場恵峰書「24色紙」 明徳塾で撮影。支えている手は齋藤明彦氏。

速く早く走れることの意味

 速く走れるとは、速くしか走る能力が無いことである。遅く走ることができない。其の咎は、後から、それも晩年に訪れる。

 飛行機でも速く飛べる機体は、遅く飛ぶと失速してしまい墜落する。ゆっくりの遊覧飛行は出来ない。離着陸のために広大な飛行場が必要で、その騒音は凄まじい。この世に存在するモノには各々に役割があり、速く飛ぶだけが良い能力ではない。一面から見れば長所だが、別に見方では欠点にもなる。人でも同じで、己の能力(性能)の高いか低いは人生の価値には影響しない。与えられた能力を何に使うか(使命)を考えよう。

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頭がいいとは

 頭がいい、頭の回転が速いとは、馬鹿になって物事に取り組むことが出来ないこと。物事の損得勘定に最初に考えが行ってしまう。また人が馬鹿に見えてしかたがない。物事を利害関係、合理的にしか考えられず、傲慢になりやすい。合理的にしか考えられないのは、視野の狭い偏った思考能力である。だから嫌われる。

 記憶力が優れているとは、部下の失敗を何時までも覚えていて、部下にその嫌味を言って部下から嫌われる。また己の失敗をいつまでも引きずることにもなる。

 頭が良くて早く出世する能力は、エリートコースに乗り、下積みの経験をせず直ぐ課長や所長・役員になって人生を謳歌すること。それが長い人生でプラスなのかマイナスなのかは別問題である。人生は長い目で見るとプラスマイナスゼロの世界である。

 

頭がいい弊害

 そうやって部長や役員での仕事として、人のアラ探しや指示することだけは出来るが、実務や実生活では何も出来ない人間が出来上がる。退職後に、やることが無く、認知症に罹りやすい落とし穴が待っている。長年、気ばかり使って頭を使わなかった警察署長、校長先生等が認知症になりやすいという。接待の宴会続きで旨いものを食べてばかりいると、糖尿病、高血圧、肥満の罠が待っている。

 

ガンとガン治療の狂騒曲

 1兆円以上の金を集めても、更に金儲けに欲を出している輩が日本にもいる。使えきれない金を集めて、幸せになれるのか。あの世には持って行けない。それは社会のガン細胞。

 発がん性が明白なタバコや酒を規制しない役人がいる。高級官僚として高学歴の知性があって、なぜその危険性が見えないか。その分、我々の健康保険料の負担が増える。

 先進国で、日本だけがガン死が急増しているのに、手を打たない役人がいる。ウサギが寝ているのを放置していると同じである。

 米国で、抗がん剤、放射線治療ではガンは治療できないことが証言されたのに、それに耳を貸さない日本がん協会は、ウサギが寝ていると同じ。仏様が罰を日本社会に与えている。

 

『吾が人生の師天王』p162

 

2019-04-20   久志能幾研究所 小田泰仙

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