シベリア強制収容所では、三度の食事は最低限の量しか供与されない。それで毎日重労働を強いられる。栄養失調になり下痢をして医務室の運ばれる戦友がいたが、薬がなく戻ってこない戦友が多くいた。栄養失調で倒れるのは死への切符をもらうこと。
極限状態の食事
一日の食料は、朝は雑炊で茶碗に半分くらいの量である。昼食はシャビシャビのスープと黒パン350グラムであり、夕食も雑炊である。翌日の昼食のパンは夕食時に配給されるため、夕食時や空腹に耐えかねて夜の間に食べてしまう仲間も多い。そうなると次の夜まで食べるものは何もなく、栄養失調で倒れる者も多く、帰らぬ人となった仲間も多い。残酷なパンの支給方法である。
死の罠
収容所の近くに保存食の塩漬けのニシンを入れた樽が置いてあった。その樽の後ろ側が壊れていてニシンがはみ出していた。飢えた戦友は、それを衛兵の目を盗んで、口に入れて食べるのだが、衛兵も見て見ぬ振りをしていたそうだ。しかし塩漬けのニシンを、そのまま空腹の胃に入るとてきめんに下痢である。下痢になれば、氷点下30度の戸外のトイレで用を足さねばならぬ。それは死を意味する。今川氏は誘惑に負けて斃れた仲間が不憫でならないという。
今川順夫氏の講演会で (現在91歳)
手にしているのが350グラムのパンの量。これで一食一人分の配給
2014年8月16日 興文地区センター(大垣市)
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遺体埋葬
戦友のコチンコチン凍った遺体は、有志が大八車で、死体遺棄場所に運ぶ。凍土の埋めるのだが、凍土のため土を掘ることもできず、僅かな苔を顔にかけて、手を合わせるしか手がないのである。今川氏は、亡くなった戦友が不憫でならないという。
仲間の死
欧米人にとって、日本人等の有色人種は、人間ではないのだ。人間でないので、死んだら、それはendで、死ではないので、その処理は、捕虜たちに勝手に任せればよいのだ。Deadなら、事後処理が必要だが、日本人はモノ扱いである。その感覚がなければ、10万人の邦人を死に追いやる強制労働はさせられまい。捕虜は、戦争に勝った方が、自由にできる戦利品なのだ。この考え方は、今でも続いている。だから、そのツケが現在の移民問題に発した欧州の混乱である。
米国の植民地政策
米国は、インディアンの土地であったアメリカ大陸を強奪して、当時1000万人いたインディアンを950万人も虐殺した。現在、インディアンは50万人しか残っていない。米国人(英国人が大半)は、入植当時、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培方法をインディアンから教えてもらって飢えをしのいだ。しかし米国人は、インディアンに恩を仇で返した。西部劇は、あくまで勝者の物語である。米国は、アフリカから強奪してきた奴隷を酷使して国を造った。米国人にとってアフリカ奴隷もモノである。だから、日本を焦土にして、東京大空襲で10万人を焼き殺し、広島と長崎に原爆を落とす皆殺し作戦を平気で行えた。それはナチスと変わらない。戦争犯罪として裁かれなかったのは、戦勝国であったから。
英国の植民地政策
紳士の国・英国も、中国にアヘンを売って、中国人をアヘン漬けにして、因縁をつけてアヘン戦争を仕掛け、中国の領土を割譲させた。まるでヤクザである。英国は、インドを植民地にして、結果として200年間で、インド人を2600万人も餓死させたという。インド人は、英国にとって、人間ではないので、教会も公認である。根本に、キリスト教徒以外の異教徒は人間ではないとの教会の教えがある。それは当時のローマ法王も公認であった。
恒久平和祈念の碑
雪の日の「恒久平和祈念の碑」 大垣市 2015年1月2日
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2015年1月2日、正月早々に雪が降り、大垣市内が雪化粧に覆われた。朝の散歩で「恒久平和の碑」の前に、いつものようにいつもの時間に来て、いつものように手を合わせた。この日は寒さに震えたが、大垣の地よりも遥かに寒いシベリアの地に夏服のままで送り込まれ、強制労働を強いられた皆さんと父を思うと覚悟が新たになる。この碑の裏面の銘板に父の名も刻まれている。父の名が刻まれているのを発見したのは2014年7月のことである。この4年間、毎日この前を通っていたが気づかなかったご縁である。碑の横に立つ木は「いのちの柿の木」である。2000年に「長崎・被爆柿の木2世」の苗木を長崎から迎え、名づけられた。この写真を見てこの頁の原稿を書いている時、この木の名前をこの横に設置してある看板を見て初めて知った。この木の横を4年間通っているが、2015年3月1日になって気がついたご縁である。出会いのご縁にみほとけのお導きを感じた。
父が生きて帰還できたが故、今の自分の命がある。なぜ人は死鬼衆になるのか。なぜ共産主義は人の命を粗末にするのか。なぜアーリア人は民族皆殺しの死鬼業を平気で犯すのか。何故、日本の食品メーカは、日本人の命を削る食品を販売するのか。己は恒久平和のために何が出来るのか。我々は後世に何を伝えるべきか。この碑を見るたびに考えている。
上図は、今川順夫著『夢への挑戦の礎』より
『吾が人生の師天王』p83より
2019-03-02 久志能幾研究所 小田泰仙
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