企業診断士とは、企業の経営を診断する「先生」である。私はその卵の姿を5年間見てきて、占い師と合い通じるものを発見した。自分の体や姿を観て、自分の生き方を診断・改革・改善できず、何が企業診断士かと思う。企業の診断とは、経営診断である。
経営とは、生き物である会社の営みである。その営みは、歴史と現代の世相の絡み合いから生まれる状況である。それを観ようとするなら、身を正さないと、見るべきものも見えない。
人の短処は良く見えるもの。企業診断士である前に、「自分株式会社」を経営する己でありたい。自分の株主は、両親でありご先祖様なのだ。
診断士の様相
肥満体の診断士、だらしない服相の診断士の卵、重箱の隅をつつくような診断士の指導教官等である。自分の体の診断をしてその対策もできない人に、経営の診断などできるわけがない。だらしない服相の企業診断士を顧客が信用するのか。単に教科書に載っている指標だけで、企業を診断しても、その信ぴょう性は薄い。重箱の隅を突っつくような事象だけを捉えて、本筋を外れた診断をしてどうするのか。
未来予想
未来は誰にも分からないが、その姿からおおよその推定はできる。現実の姿は、未来の予告なのだ。それがそんなにも外れた推定ではないことが、60にもなると分かってくる。その結果は、その顔や外観、日頃の行動に刻まれている。責任ある人間なら、己の顔にも責任を持たねばならぬ。顔とは、名刺であり、服相であり、言葉遣いであり、交友関係の顔である。50代の男の顔を観れば、おおよその未来は見えてくる。その言動を観れば、未来は確定である。
音を観る
人の外見や行動は、一つのメッセージを発している。そのメッセージを観るのが観音様である。自分が佛となって、人を観ないと、自分の未来は拓けない。自分の未来は人様が運んでくれる。その人が良縁を運んでくる福の神か、悪縁を運んでくる貧乏神かの見極めをしたいもの。それを見極める力の育成は、自己研鑽しかない。
『馬場恵峰書 佐藤一斎著「言志四録」51選集』(久志能幾研究所刊)より
『書天王が描く世界』p60より
2019-02-09 久志能幾研究所 小田泰仙
著作権の関係で、無断引用を禁止します。