「スラスラ書いても正しく書く。漫然と習うより考えて書く」(恵峰先生)。正しい道で考えることが大事である。書道もピアノ道も人生道も同じである。河村義子先生からも、「漫然とピアノのキーを叩くのではなく、指の先の動きに神経を集中させて、考えながら指を動かしなさい」と教えられた。正しくない道で、頭を真っ白にして修行しても無駄である。宗教狂団に入って最大の努力をしても、行き先は絞首台である。
人と会うにしても、漫然と会うのではなく、相手の行動と姿を見て考え、相手が佛として演技をしていると考え、裏に潜む考えや意図を考えたい。相手が漫然と振舞っていれば、その本心は赤裸々になっている。相手の潜在意識まで見抜かないと、己が地獄に引きずりこまれる。時として相手は獲物を狙っている逆縁の菩薩である場合もある。その出会いは一期一会。どんな出逢いにも学びがある。学ぶ気がないから騙される。相手は言葉以外に93%の情報を表情、身振り、服装から本心を伝えている。口で誤魔化しても外見や素振りを見れば、その本心は明らかである。それが人を観る目である。
河村義子先生の指導
仕事、芸道、人生道では、正しい道を正しい歩き方で、正しい姿勢で考えながら進まないと、誤った固定観念に囚われて迷いの道に迷い込む。良き師の指導こそが人生の宝である。人生曼荼羅では、出あう人皆我師である。
この頁のピアノを弾いている写真を、当初、あるピアノの先生のHPから引用した。それは中学生の生徒が弾いている写真であった。それを河村義子先生が見て、「手の甲の位置が低く正しい弾き方ではない」と指摘された。正しい弾き方の写真でないと間違った道を教えることになる。ネットには玉石混合の情報が溢れている。世間も同じである。正しい師について学ばないと間違った道に迷い込む。心して道に励みたい。(初稿2015年1月)
そのご縁があって、河村義子先生のピアノを弾く手を撮影する記録が残せた。ご縁に感謝。
恵峰先生は考えながら三好輝行先生のお祝い色紙の末尾から筆を運ぶ。2014年11月13日
どの指を何処まで飛ばすのか考えながら弾く河村義子先生の指運び 2015年1月23日
馬場恵峰書 2014年の年末に書かれた。この直後、便秘で断腸の思いをされた。無事に済んでなりよりでした。恵峰先生書
2019-01-07 久志能幾研究所 小田泰仙
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