お宝(体、時間、命、ご縁、お金)は、神仏・ご先祖からの一時的な預かりもの。その資源を使って人生経営をどうするかが問われている。それを有効に使うのも、無為にするのも、酷使してしっぺ返しを受けるのも全て己の人格のなせること。どのお宝も、あの世に持って行けない。その資源の効力が有効なのは、この娑婆中だけである。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。いつかは寂滅の世界に行く。その前提で生きるべし。
経営とは
人生経営とは、人としてご先祖から与えられた資源を最大限に活用する行いである。会社経営とは、人の能力を最大限に活かすことである。人生経営では、己の持てる資源を使って、人生の利益(りやく)を出すことである。それが使命であり、天命である。
利益(りやく)
仏教でいう利益は、俗世間の「利益(りえき)」ではなく、「利益(りやく)」と呼び、現実の生活苦からの離脱を求めて祈りつづけ、その恵みとして与えられた恩恵を、ご利益(りやく)という。その利益には、自分が利益を得るだけでなく、他の人を益すること、恵みを与えることである。仏教では、仏の教えに生きて得られた恩恵を、自利・利他の益(やく)としている。
自ら利益を得るだけでなく、他の人びとを利益することが菩薩の精神である。仏の教えによって得られる利益(りやく)は、金銭上や物質上の利益ではなく、自らの生存在に自覚的に醒めて生きる、自覚者の誕生のことである。我々は、自らの命の尊さに目覚めて生きねばならぬ。
諸悪の根源
命の尊さに目覚めれば、運が悪いとか、頭が悪いとか、肝臓が悪いとかは言えないはずある。すべて己の体を経営する自覚が足りなかったのだ。
運が悪いのではない。運を悪くするような人生経営をしてきたのだ。
体が弱いのではない。ご先祖から貸与された体を、怠けて安易な生活に溺れ鍛えなかっただけだ。体の適切な保全の経営をしてこなかったのだ。
頭が悪いのではない。頭を鍛える経営をしなかっただけだ。
肝臓が悪いのではない。肝臓さんを傷めつけるような経営をしてきたのだ。つまり酒を飲み過ぎたのだ。肝臓が悪いといったら、肝臓さんに悪い。肝臓さんは悪くない。肝臓さんを傷めつける経営をした己が悪いのだ。世は最高の事しか起こらない。酒を飲み過ぎれば、肝臓が悪くなるのが、生理学的に最高の結果なのだ。
お金がないのではない。お金を大事に扱う習慣がなかったのだ。だからお金さんが、愛想をつかして逃げていったのだ。お金さんを大事に扱えば、お金さんが友達を連れて帰ってきてくれる。お金を儲けたければ、経営での顧客(お金さん)の満足度を上げればよいのだ。
己の後ろ姿を見つめる者
自分の後姿を神仏に代わって子供、部下、世間が見つめる。世間の眼は、神の如きである。それでその家、組織の興亡が決まる。三田圭子の息子、みのもんたの息子、不祥事企業の社長の無様な姿がそれを示している。
積善の家に余慶あり
今の己の姿が、ご先祖からの功徳の積分値である。己は、何代も続くご先祖の代表選手なのだ。ご先祖に恥ずかしくない行動を取りたいもの。自分の役割は、連綿と続くご先祖からの駅伝走者の位置付けである。己の使命は、何を受け取り、何を後世に伝えるのか。それを自問したい。
ご縁に出会ったら、自分の為、家族の為、国のためにそのご縁を一期一会で受け止めて活かせ。それが命を授けてくださったご先祖様への御恩返しである。
馬場恵峰書
2019-01-27 久志能幾研究所 小田泰仙
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