河村義子先生の命、人生の大事を急げ

磨墨知14.

 あなたの人生の目的は何?

 人生で何に命を捧げるか?

 されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思いすてて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)

 歌やゴルフ、麻雀が下手で負けてもいいではないか。そんなことに強くなるために時間をかけて時間を無駄にするよりも、自分の人生目的の達成に力を入れよ。

 

釣りの趣味は、人間の驕り

 その人生で大事な時間を、釣りやゲームにうつつを抜かしていいのか。天が与えた自然界の大事な命を己の痴呆的な遊びの道具に使って良いのか。その命も、生きたいという生存本能がある。それを己の遊びのために、いのちを持てあそび、命を殺すのは、霊長類の頂点の人として生まれて、恥ずかしい趣味だと思う。私は、釣りの趣味の人を軽蔑する。釣りバカ、である。私はそんな人とは付き合わない。

 いくらゲームとは言えは、人を殺す戦争ゲームや、格闘のゲームに興じていいのか。ゲームの後で何が残るのか。ゲームに負けてリセットすればすむ世界に狂ずれば、凄惨な人殺しも平気な人間が出来上がる。ゲームに興じている人の顔は、弛緩している。

 

河村義子先生の命

 河村義子先生の棺に横たわった死に顔は美しかったが、決して安らかではなかった。もっと生きたい、もっと音楽で皆さんに貢献したいという無念さが出ていた。

 「美しい死に顔ではあったが、安からなお顔ではなかった。もっと生きたい、という思いがお顔に現れていた」と義子先生の死に顔を見られた40年来の付き合いの知人のピアノの先生は涙ぐんでおられた。その方は悲しみで体調を崩して1週間ほど入院をされたとか。河村先生が亡くなられて1か月も経つのに、今日、偶然、通りすがりに出会ったら、そう言って涙ぐまれた。

 河村義子先生は生前、きっと「何故私だけが? 人生は理不尽だ」という思いがあったはず。先生は、さぞ無念であったと思う。それでも誰にもそれを告げず、5年間を音楽活動と後進の育成に命をかけて全力をつくされた。だから2018年8月に病状が悪化して、愛知県がんセンターに入院された時は、落ち込んで、誰も見舞いに来てほしくなかったという。私にも「珍しい病気ですが、がんでありません。名古屋の病院に入ります」とメールが来て、どの病院かは教えてくれなかった。推測はついたが、あえて聞けなかった。また男性の私が女性の病室は見舞いに行きづらい。2018年12月16日に緩和病院に入院されてから、最後の最期になって、さすがにそれではまずいと思われて、関係者だけにお別れをされたという。私も「近くを通ったら寄ってください」と誘われたが、愚かな私は、その緊迫度に気が付かなかった。

 人の死は必然である。なおかつ人生は理不尽なのだ。河村義子先生は、最後の5年の命を、人の何倍も活動して命を輝かせた。自分も何時かは死ぬ前提で、理不尽な人生を乗り越えて、人生の大事を急ぎたい。

20190131

2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

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