主人公の人生

 人生ストーリで、主人公は自分である。自分が主人公でなければ、奴隷の人生である。「主」とは「王」座に座った己を(、)で表した象形文字である。(、)は王座の上に灯る蝋燭の火も象形する文字である。自分を蝋燭の火として燃やして周りを照らす。そういう人生が、主人公の人生である。

 

人生は能舞台

 人生とは、能舞台やバレエの舞台のように、背景は刻々と入れ替わり、己がスポットライトに照らされる時も、暗転するときもある。己の力ではどうしようもない運命の流れである。その中で、自分にできることは、自分の天命、使命を知り、全力を尽くすことしかないのだ。泣いている暇はないのだ。

 

主人公と被害者

 人生は主人公の人生と被害者の人生の二つに分けられる。叩かれ踏み倒されても、心は燃えて立ちあがるのが、主人公の人生である。被害者の人生なら「なんで私だけ」と泣き続ける敗者の人生となってしまう。人生は己のために回っているのではない。そうなら日本だけでも、1億個の自分に都合の良い人生がなければならぬ。

 

天が師

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己に尽くせ。人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし」と西郷隆盛はいう。彼は沖永良部島の牢獄で、己を島流しにした理不尽な上司を恨まず、「言志四録」を熟読し、心を養成した。それが明治維新の原動力に昇華した。何時の時代も理に合わない上司が、自分の上に来るのが世の常である。だから人を相手にしてはダメなのだ。

私もサラリーマン時代の38年間で、数多くの上司に仕えたが、理に叶う上司は数人しかいない。それ以外は首をかしげざるを得ない上司莫迦リであった。それが人生なのだ。自分は、それを反面教師として学べばよいのだ。いわば上司の失敗事例の展示である。天がその悪い見本を示してくれたと思うことにした。私はそうならない上司を心がけて部下にあたった。

 

太上は天を師とし

其の次は人を師とする

その次は経を師とする

言志四録 志録2

024k8a10812   馬場恵峰書『佐藤一斎著「言志四録」51選訓集』より

 

2018-12-19  久志能幾研究所 小田泰仙

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